「12人の怒れる男たち」

2009年9月27日

昨夜は「12人の怒れる男たち」を観劇した。映画と同じあの陪審員の評議室でのやりとりを舞台化したものだ。たっぷり2時間ぶっ通しの1幕の舞台であり,言葉のやりとりだけによって状況の変化をもたらすというもので,観ているうちにどんどん引き込まれていくが,反面少し疲れるものでもあった。

裁判員裁判が始まって,刑事裁判に市民が参加するという陪審,裁判員裁判に関心が高まっているように思える。そんなことで今回の舞台は,皆さんが意欲的な感覚をもって観劇していたのではないだろうか。今朝は,歯科の治療にいったが,治療をしている歯医者さんから,裁判員制度や死刑制度についていろいろと聞かれた。裁判員制度が始まって,多くの人が刑事司法に関心を持ち出したことは間違いない。民主主義の風を受けないで,専門家任せの司法に,国民の目が向くのは健全で大きな力を司法に与えることになる。クリスチャンの集まりの方から,裁判員裁判について話をしてもらいたいと依頼をうけ,話をすることになっている。聖書には「裁いてはならない」とのイエスの言葉が記されてあり,裁判員裁判は「裁く」ことになるのではないかとの疑問を抱えての依頼であるようだ。今度の舞台のテーマともなっていたが,裁くのではなく「合理的な疑いを容れない程度」に検察官の立証がなされたか否かを判断するのが刑事裁判なのである。犯罪を犯した人を一人残らず刑罰に処すのではなく,漏れる人があるとしても合理的な疑いを容れない程度に立証された人だけに刑罰を課すのが刑事裁判なのである。

アメリカの古い時代の陪審がテーマであったため,手続き的には裁判員裁判とは異なるところが多かった。まずは,陪審員がまさに12人の男ばかりであったことに違和感を覚えた。評議は全員一致でなければ成立しない。裁判員制度の多数決とはシステムが異なる。全員一致にならなければ,別の評議体で改めて審理されるようになっていたようだ。裁判官が全く関与せず,民間の陪審員だけでの審理であった。判断するのは有罪か無罪かだけであり,量刑は陪審員の判断するところではなかった。11対1で有罪が評議を進めていくうちに無罪の判断をする人が増えていき,ついには全員一致で無罪の評決をくだすことになるというものであった。裁判員裁判においても裁判官のうまいリードでこのような活発な議論が評議室で交わされることになっていることを期待したい。

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