岡山でも裁判員裁判

2009年10月8日

岡山でも裁判員裁判が始まった。評決の日まで4日間の日程である。昨日は、朝から裁判所前は報道関係者、傍聴券を求める人たち、それに加えて裁判員裁判に反対する人たちが登りをたててマイクで演説しているなど賑やかであった。裁判所の中も裁判所の腕章をはめる警備の関係者も目立っていた。司法にこれだけ人々が関心をもつようになることは、司法全体の改革の動きを促進するのではないかと思われる。100年に一度と司法の大改革がなされたが、まだまだ手がつけられていないことが多い。特に「司法官僚」については、依然として最高裁の事務当局をトップとする司法統制が厳然として続いている。裁判員裁判は、こうした司法の砦のなかに市民の目をいれていく大きな役割をもつことになるだろう。

裁判員裁判に反対と少々エキセントリックにマイクで叫んでいた人々もきょうはもういない。この人たちは、今までの司法をどう考えているのだろうか、満足してきたのだろうか、その改革の動きのときはどのようなスタンスをとってきたのだろうかと、反対の理由が私には理解できない。裁判員裁判によって捜査も大きく変わり、捜査の可視化が既にスケジュールに上がってきている。司法を裁判官に任せるのではなく、国民の参加はまさに民主主義国家のグローバルスタンダードである。裁判員裁判に参加することはそれなりに労力を必要とする。しかし、それらはこの民主主義国家を支えていく
国民のコストである。選挙があれば選挙にでかけていく。国の財政を支えるべく、納税の義務を果たしてく。それと同じように裁判員裁判にも機会があれば参加してく。そんな制度ではないかと思われる。

今朝の新聞報道には法廷の様子がイラストで記載されていた。弁護人の二人は良く知っているひとであるが、描かれた自分の姿をみて、これは違う、もっと若いはずだと叫んでいるに違いない。しかし、現実はそのままであり、良く書かれていた。

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