閑谷学校

2009年10月13日

20091010(002).jpg

土曜日には,中弁大会の観光にも参加した。閑谷学校,備前焼の土ひねり,長船の刀の制作現場を回るコースのお世話係としての参加であった。閑谷学校の楷の木はまだ色づいていなかった。2本の木のうち左側が赤く,右側が黄色に紅葉する珍しい木である。時期が少々早かったようである。

この閑谷学校は,岡山藩主池田光政によって開設され,工事着工が1670年の世界最古の庶民のための学校であると言われている。地方の指導者を育成するために武士のみならず庶民の子弟も教育した。陳列されている名簿をみていると武士の子弟ばかりではなく,農民の子らもかなりの割合で入っていた。かつて岡山県は教育県であると言われていた頃があったが,こうした伝統があったからかもしれない。展示資料をみているとおもしろいことをかいた文章をみた。武士を減らして税金を減らし,その減税でできた分を庶民の生活のために使えれば庶民が豊かになるという趣旨のことが書かれ,帰農の勧めが書かれていたのである。さしずめ,現代風に言えば,官僚の数を減らして予算を減らしその分を減税すれば,国民生活がその分豊かになるということだろうか。身分制度が厳しい中,庶民の子どもの教育を始めたその先見性は素晴らしいものである。屋根には備前焼きの瓦が葺かれている。この瓦を焼くために特別の工房が作られたというのであるから藩主の力の入れようがわかるというものだ。

備前焼といえば,首相官邸にも備前焼の壁が作られいる。首相がこの壁のまえで記者たちのぶら下がり取材に応じる場所である。そのため,テレビニュースをみているとしばしばこの首相インタビューを受ける背景に備前焼をみることができる。閑谷校の屋根の備前焼は,庶民の教育を重んじた象徴だと思うが,官邸の備前焼は,某国会議員の力のなせるわざであったか,,,,,,,,。

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