電車に乗って倉敷に行った。倉敷の裁判所へはマイカーででかけるが,きょうはある取引の立ち会いのために倉敷駅のすぐ近くにある金融機関にでかけたからだ。私の依頼者は,倉敷の市街地の中にある農地の小作者である。かなりの高齢ではあるが,農作物を作りたいという意欲は強かった。その土地の所有者は相続もからみ県外の複数の人となっていた。その土地を開発したいと言う所有者と離作補償の交渉であったが,きょうはその最終決済の日であったのである。目の前で大金がやりとりされていく。数百万円というお金が不動産業者のところへ現金で動く。所有者は,そこで取り分を計算しながら受け取った売買代金のなかから支払うべき金員をより分け,分けていた。そんな光景をみながらふと窓をみるとチボリ公園の跡地が見えていた。
紅葉した木々が,堂々と残っていて,その間にまだ施設が残っているのもある。大きなクレーンが2つ見えていて,どうやらまだ撤去作業が続けられているようである。森のようになっているあの木々もやがてはすべて撤去されるのだろうか。更地返還が条件だと言われていたはずだ。チボリ公園は造られる時に大きな議論となった。しかし,設置が強行された。そして,継続的な利益をあげることはできず,大きな借金を残して消えてゆく。誰もその責任をとることはない。窓からの景色が妙にもの悲しく感じられた。
実は,今から30年ぐらい前のことであるが,この金融機関が入っているビルの建設工事が始まろうとしていたときに,建築工事の差し止めの事件を担当した。決定の出る前に現実に工事は停止され,その間の裁判所外の話し合いで決着した。当時の倉敷市長大山市長の任期最後の日に決着をした。市長室の隣の部屋で,市長の顔を見ることなく淡々と和解書を交わした記憶がある。久しぶりに電車で倉敷にきて,周囲の景色をみているといろんなことを考えさせられた。