オウム真理教,足利事件

2010年4月2日

昨日書いたブログは,アップする前に誤操作ですべて消えてしまった。なんとなく腹ふくるる思いのまま床についた。やり残したことのあるという思いと,せっかく書いたのに消えてしまった悔しさとが入り交じった気分であったが,再度書くという気持ちにはなれなかった。

昨日は,国松警察庁長官狙撃事件のことを書いた。捜査によっても犯人を特定することができず,もちろん裁判で有罪が確定したわけでもない。裁判になっていてさえ,有罪判決を受けるまでは無罪が推定される。にもかかわらず,オウム真理教の犯罪であるとわざわざ断定して公表した。とてもおかしなことだ。こんなことがまかりとおるのであれば,オウム真理教はますます閉鎖的になって,危険な動きにつながってくるおそれがある。権力の横暴であると言わざるをえない。このことを結構長文で書いていた。

いったん書いたものと同じテーマでまた書いたのは,足利事件で再審無罪となった菅谷さんの件で検察庁からの検証結果の公表があって,同じ捜査に関する話題が続いたからである。発表されているニュースをみると虚偽の自白を見抜けなかった反省が述べられている。えん罪事件はすべてにおいて虚偽の自白が存在していたはずである。こうした自白調書が取られることのないよう,また裁判でも自白の信用性に疑問が生じれば直ちに検証できるように「捜査の可視化」が実現されるべきだとは多くの人から指摘されているところである。しかし,このことについては触れられないままの検察庁の発言である。可視化を直ちに実現すれば,えん罪の危険は大幅に減少となるはずである。このことを放置したままで,さらなる司法取引などの危険な捜査手法と引き替に可視化を検討するなどというおかしなことになっている。

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