「中坊さんの忍辱」

2010年5月3日

昨日のTBS系の報道番組で中坊さんの忍辱の日々というような報道があった。私は,弁護士になってすぐに森永ヒ素ミルク中毒事件に関わり,消費者委員会の関係で中坊さん経営の御殿荘には何度も泊まり,中坊さんが日弁連の副会長,会長のときに刑法改正問題で激しく政府と対立した時の担当委員会の副委員長だったり,豊島産廃事件の破産管財人を担当とするなどのことがあったので,弁護士として活躍されていたときによく接することがあった方だ。住専の社長のときは,厳しく取り立てを受けていた債務者の代理人として,競売事件に関して直接お願いにいったこともあった。

この番組は,豊島との関わりで,中坊さんの果たした役割と住民の方との関わりに焦点をあて,中坊さんが弁護士バッジをはずすことになって,その悔しさ,無念な気持ちを「忍辱」という言葉でドキュメント風に放映されたものだ。しかし,その報道趣旨が全くつかめなかった。番組の制作者は,そのことは取材のなかで十分に理解をされていたのだと思うが,番組としてはもっとも問題として見ていかなければいけないことに目をつむったままであった。なぜにバッジをはずさなければならないことになったのか,なぜに再び弁護士バッジをはめることがかなわなかったのか,そこの本質の問題にひるむことなく迫ることができればこの番組は素晴らしいものになたっと思う。

司法改革に関しては,中坊さんはなくてはならない存在であったと思う。その功績を全く認めない人もいたが,中坊さんのリーダーシップのなかで政治が大きく動いたと思う。弁護士費用の敗訴者負担問題では,一時期,我々とスタンスを必ずしも完全に一致できない時もあったが,これはおおきな市民運動が生まれてくる中,最後にはまったく同じ立場で画期的な成果を得ることができた。しかし,整理機構の回収をめぐり安田弁護士に対する対応は間違っていたと思う。そのことがそのまま中坊さんの問題に跳ね返った状況であった。私も中坊さんには弁護士として復帰して欲しいと願った一人である。その日のくることを願って,数年ほど前に有志で励ます会を開いたりもした。

実は,きょうは私の誕生日であった。いろんなところから,商業メールで誕生祝いのメールが届いた。二人の娘からもメールがあった。両親からは電話があった。息子の誕生日を覚えているのだから,まだまだ元気なのだろう。もう,年をとることは嬉しくもない。しかし,デッキにでて,ハナミズキ,てっせん,ツツジと咲いている庭の花をみながら,缶ビールを飲んでいつもと違う日とした。

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