適地ではなく弱いところに

2006年8月21日

原発の使用済み核燃料はプルトニュウムなどが含まれていて高レベル放射性廃棄物である。原発が稼働し始めて数十年が経過したが(私が大学生のころ朝の連続ドラマ「鳩子の海」という番組があり、その役の一人が原発の実験炉のあった東海村勤務という設定だった)、その使用済み核燃料の最終処分方法はいまだ確定できていない。安定した地層の大深度地下でガラス固化体のキャニスターにいれて保管することが検討されているが、世界的にまだ安全に処理する方法は確立されていない。現在は、人の目視できる範囲で隔離保管管理されている。増え続ける高レベル廃棄物の管理は既に限界にきている。今朝の新聞報道によれば、最終処分地として適地か否かの調査を受け入れることによって支給される交付金ねらいで奄美大島が調査地受け入れに手を挙げたようだ。rnrn数千年の半減期であるプルトニウムを含む高レベル放射性核廃棄物を確実に安全に管理できる適地を探すというのではなく、お金の欲しい自治体に交付金と引き替えにまずはその調査を受け入れさせるということだ。そして、調査を受け入れたところに最終的に処分される。数億年という極めて安定した地層であるということが処分地としての条件だ。しかし、日本にはそんなところはないであろう。いや世界にもないのではないか。こうしたものは結局は適地につくられるのではなく、弱いところに作られるのである。安定した地層か否かはもはや問題ではないのである。経済的に逼迫した自治体、反対運動の起きそうにないところ、民主主義の弱いところなどがターゲットとなる。決して東京のど真ん中につくろうと言う話はでてこない。産業廃棄物処分場の建設も同様な構造である。rnrn10月に鳥取で開催される中弁連大会では、原発を抱える島根県弁護士会からプルサーマル計画の導入に関して、地元住民の声を聞く手続き的保障を定めた条例をつくるべきであるという内容の決議をすることが準備されている。使用済み核燃料の最終処分方法が決まらず。年々原爆の材料となるプルトニウムの保管量が増えているが、このプルトニュムを原発の燃料に混ぜて消費しようというものであって、最終処分地が決定されないことと関連のあることである。ここでもやはり適地に原発ができたのではなく、経済基盤の弱い島根に作られたとはいえないだろうか。それ故住民の意思形成を民主主義のルールに従って実現することのできる条例を制定しておくことは重要なことであると思う。この決議文の作成に起草委員として関わっている。

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