疑わしきは被告人の利益に

2010年6月10日

この刑事裁判の原則が,裁判の報道のなかであまり触れられることがない。重大犯罪について無罪でもでようものなら,犯人を処罰できないことが悔しいなどという被害者の方の意見が全面にでてしまう。確かに裁判そのものがすでに「疑わしきは被告人の利益に」という原則を忘れたものになっているといってよい。

捜査段階から無罪を主張し続け,だされた証拠は,検察官のストーリーを前提とすれば犯罪の存在は不思議ではないと思われる程度の証拠で1審は有罪判決であった。やっていないことを証明することは実に困難である。やっていないというしかないのである。犯罪は,検察官がどう考えても被告人がやったと言える程度に証明しなければ無罪なのだ。原審の判決は少なくともこの原則に反する事実認定であると控訴した。控訴審でも被告人の犯行であるとすれば説明が容易になるという程度の間接事実の証明がなされただけで有罪認定はおかしいと控訴理由を述べ,被告人質問を要求した。裁判所はこれを採用せずすぐさま結審して判決期日を指定してきた。ところがその日から数日たって,裁判所から連絡があり,結審を取消し,職権で被告人尋問をやりたいとのことであった。こんなことで弁論が再開されて証拠調べになるのどのことは初めての経験であった。弁護人の趣旨での被告人質問は認めないが,1審のずさんな事実認定には与しないというのであろう。そして,本日控訴審での被告人質問があった。

弁護人から,裁判官が被告人質問を認めた趣旨に従って尋問をし,検察官が予定時間を大きくオーバーしてこれまたしつこく尋問をし,さらに裁判官からなんとか被告人の有罪の根拠となるべき事実関係を聞き出そうと補充質問にも多くの時間がとられた。事前の打ち合わせでは1時間もかかることはないと予想されていたが2時間近くも時間を経過することになった。裁判官も検察官と一緒になって被告人を追究するという構図である。あいまいな立証しかないのであるから素直に無罪判決をだしたらいいのである。しかし,裁判所は,わざわざ一度結審をしていた裁判の弁論再開までして弁護人から被告人質問を却下しておきながら,職権で被告人質問をしてなんとか有罪としようとしていたとしか思えない。原審の証拠調べのままであれば決して有罪にはできないと思ったからであると思う。こうして,裁判所もなんとか有罪にしたいという姿勢が常にある。無罪判決を書くことが決して評価を得られることではないという実態があることが悲しい。

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