昨日、左目の白内障の手術をした。今朝、眼帯がはずされた。これで、両眼に曇りのないレンズが組み込まれたことになる。視界がおもいの外、明るく、クリアで色彩豊かであったことに気づかされ、驚きもしている。この感覚とともに思い出されたのは「壺坂霊験記」である。これは、浄瑠璃義太夫節の世話物と言われるひとつである。この義太夫節の記憶ではなく、思い出されたのは壺坂霊験記の一説を引用した随想文のことである。
今の憲法が公布された時の国務大臣金森徳治郎氏の「憲法随想」のなかで引用されていた話である。金森氏は憲法が制定されるまでの作業に関わっていた。そのときの感想を書いていたのが昭和22年ごろ発刊されたこの本であった。憲法ができあがったときの感激を「見えた、見えた、目が見えた」と壺坂霊験記の一説を引用して解説していた。それまでは曇ったレンズで世の中が良く見えていなかったが、新しい憲法のすっきりとしたレンズでみることができるようになって世の中がくっきりとみえるようになったとその感激を伝えるものであった。白内障の手術をして、くっきりとものが見えるようになった感激に似たものではなかったかと考えるのは少し大げさか。「憲法随想」は、私が生まれた頃、発刊されていたものである。そして、質の悪いいまにも分解しそうなぼろぼろの紙に印刷されたこの本に司法試験の受験勉強をしていた大学4年生のときに、神田の古書店で見つけて購入した本である。この本を読んで、憲法のできるまでの議論が生き生きと語られていたことに感銘を受けた。古い諺なども至る所に引用されていたように記憶している。「1灯を掲げて暗夜を行く」は憲法9条のところで引用されていたか?