検察官の起訴

2010年10月5日

小沢さんが強制起訴となることになった。

犯罪の捜査が警察,検察でなされた後は,起訴するか否かを決めるのは検察官である。捜査したけれども犯罪となる事実が認められなかった,疑わしいと思われる事実があるが存在を確定することができなかった,事実は認められるがあえて起訴してその責任を問うべき事情がないなどの場合は不起訴とする。この判断は検察官の専権事項である。しかし,これを徹底させ,検察官の恣意による独善的な判断になってしまっては困るので,選挙人名簿から無作為で選ばれた人によって構成される検察審査会が審理して起訴相当,不相当の意見をのべることができる制度がある。この制度は,司法に民意を反映させる制度として裁判員制度よりも遙かに長い歴史をもって運営されてきていた。あまり知られていない制度ではあったが,それなりに検察官の判断にこの制度があることは影響を与えていたと思う。今回の強制起訴は,この司法制度改革のなかで生まれた新しい制度であり,今までは検察官は検察審査会の結論に拘束されることはなく,単に再考の機会となるだけあったところ,検察審査会が2度にわたり起訴相当との判断をすれば,強制的に起訴手続きにはいることになるのである。

確かに,民意を反映させるということには意義があるが,この場合,刑事事件において起訴するということを強制させるものであり,そのことが民意の反映によって決せられていいのかどうか疑問に思っている。不起訴になる事由として事実は認められるが起訴するまでもないかどうかについては民意の反映があっていい。しかし,嫌疑の有無の判断について果たして民意の反映という理由で検察官の判断を拘束することがあっていいのか疑問に感じるのである。捜査を任務とする専門家が有罪が難しいと判断することについて,あえてその対象者を刑事手続きにさらさせることが正義なのかと疑問に思うのである。

特捜部検事の犯罪が問題とされている。今回の事件は,特捜部の陥りやすい弊害が突出したのではあるが,それは特捜部特有ではなく,検察の体制そのものから生まれたものと言うべきであろう。特捜部の特有の問題とだけと捕らえると,問題の本質を見誤ってしまう危険性を含んでいる。公判の過程で,どうして検察は後戻りできなかったのか,地検の公判部内での論議はどうだったのか,そこに責任はなかったのかなど疑問のわくところではある。

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