指紋の採取

2010年10月10日

昨日、玉島警察署で、私の両手の指紋、掌紋を採られた。採られたというより、今回は、採ってもらって捜査に協力したということだろうか。告訴事案について、当方で証拠となる文書を保管し、これを警察に届けたのであるが、この文書に残されている指紋のなかに犯人に結びつく者の指紋が残されて要るか否かをチェックしてみようということになったからだ。既に鑑識では複数の指紋の検出ができているとか。紙媒体の証拠ではあるが、こうしたものからもきちんと判別できる指紋の採取ができるというのであるから、捜査技術はたいしたもんだと思う。しかし、やはり指紋を採られるというのは、日常的には経験することではないし、常に「犯罪捜査」との関わりでイメージされるので気持ちいいものではない。今回は依頼者の指紋も除外しなければならないので、依頼者といっしょに指紋の採取であった。

今、アメリカへの入国の際には指紋を採られる。カメラで顔写真を撮影し、両手の指紋を採取するのである。入国管理官が、いかにも機械的にカメラの方を向けと指で指示し、指紋をとる手を「右、左」と指示し、言われるままに目の前の採取用の機会の前に自分で作業をする。出入国の全員に対して行っているのだから、大変な情報量と作業量である。テロにおびえ、おびえざるをえない政治状況のなかで、警戒しすぎではないかと思われるほどの過剰な対応である。そうしなけらばならない異常な状況を生み出しているものは何かを原点に返って考えなければならない。EU圏内では、我々、圏外部外者であってもウエルカムの姿勢は感じられ、出入国の手続きは極めて簡単である。そうは言っても、今回、ドイツの旅行中に、ヨーロッパでアルカイダのテロの危険性が高まっているとの警告がなされたようである。ドイツでの危険性と人の集まる公共交通機関、設備でのテロ情報のようであった。フランクフルト、ミュンヘンと大きな都市を公共交通機関を使って移動していたので、何もなくて良かった。テロは、警戒で防げるのではなく、その背景にある政治状況によってなくすことができるのであり、そのテロがなくなる世界をアメリカは率先して実現の方向で動いてもらいたいものである。

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