私は,大学3年の秋から,本格的に司法試験を目指して勉強を始めた。このころになると就職する人たちはそのための準備が始まり,自分の進路について真剣に考えることになるからだ。学内の司法試験受験グループに所属して先輩の指導受けた。そのとき,指導を受けた先輩の一人が,今,公明党の国対委員長の漆原さんだった。次女が記者として取材したときはとても優しい人であったと言っていたが,当時はとても眼光するどく,私にはとても怖い先輩であった。そして,大学を卒業した翌年に合格した。卒業してから合格するまでは,親からの仕送りですごした。学内で先輩の指導を受けての受験なので司法試験を受験するために特に費用は必要なかった。そして,研修所の2年間は,独身にとっては十分な給与が保障され,修習に専念でき,この2年間の経験は,法曹としてとても貴重なものであったと今でも思っている。法曹は,国家によって育てられ,司法をそれぞれの立場で支えていく使命があると自然とたたき込まれてきた。いつまでも,あの2年間は良き時期を過ごしたと思える時である。
今は,大学を卒業し,その後法科大学院に入学して,卒業した後に司法試験に合格して司法修習生になる。過酷な以前の1回勝負の司法試験より,法科大学院という2〜3年の法律実務家に向けての教育を受けた人の過程のためされる司法試験で法律実務家となっていく。法科大学院には社会人などいろんな人が入学することが予定されているが,もっとも順調に進んで最短の合格は24歳となる。寄り道のあった私も合格は24歳の時であった。法科大学院を含めその間の経済的負担はかなりのものがある。そのうえ,修習専念義務が課されてアルバイトもできない1年に短縮されている司法修習時代に給与は支給されない。家族のある人たちはどうするのだろうか。もはや,金持ちしか法曹への道は開かれていないという状況になってしまう。また,法曹の使命をじっくりと考える余裕もない教育しか受けないことになる。
きっと,我々が体験し,我々が思っている法曹というイメージとかなりかけ離れたものが生まれようとしているのではないか。給費制が維持されるのか,貸与制に移行するのかの違いは,単に経済的な問題だけではなく,司法全体への影響が大きいと思うのである。この11月から司法修習生に給与は支給されなくなった。