母親からの紹介で受けた事件。母とは女学校時代の同窓生という関係のようであった。年も母と同じ頃。足を悪くされて杖をつき,不自由のようであった。依頼事件の関係で家族関係もこちらにわかってくる。いや,知らなければ,問題の適切な処理はできない。私とほぼ同じような家族関係にあった。そんな人の相談を受けていると,つい自分のことを第三者に相談しているような錯覚に陥る。
子どものこと,親とのこと,相続の問題,,,,。人生も終盤になれば,それまでの人生の縮図が何をとっても見えてくる。いくつもの線を束ねた束を切り取ってその断面を見るようなものである。きょうは,倉敷の裁判所まで,ご本人と同行した。足が不自由であったので,私の車で同行した。とてもしっかりしているようではあったが,事件の説明,調停室への同行など年老いてきた母親をみるような気持ちになった。私だったら,どう対応するだろうか,どんな気持ちで今日の日を迎えるだろうかなどと妙に客観的に眺めていた。この方は,年齢以上に柔軟な考え方をされる方ではあるが,今までの生き方のなかでやはりゆずれない,超えられない一線を持たれていることが伺われ,最後の問題解決のときまで,納得することのできる条件作りと丁寧な説明を必要とされる。ここまで生きてきた自信とプライドをもっている母に接するときのように,,,,。