信教の自由と靖国

2006年8月4日

最新の小泉首相のメルマガには、かなり踏み込んで靖国参拝は信教の自由で保障されていて、どうして批判の対象になるかと持論を展開しているらしい。小泉首相は山口を今日訪問し次期首相の最有力候補である安倍氏の事実上の応援をしていて、その安倍氏は既に靖国を参拝したことが報道されている。rnrn憲法19条では「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とし、さらに憲法20条は「信教の自由は何人に対してもこれを保障する」とされている。何を信じようが何を信じまいが勝手であり、誰もこれに干渉することはできない。当然それが心の中に留まっている場合には絶対的に保障されるものである。これを内心の自由と言われている。昨今、共謀罪をつくろうとする動きがあり、これに日弁連は強く反対しているが、この罪は内心に留まっている場合にも罪が成立することになる構造をもっているからだ。小泉さんも心から神道の宗教を信仰し、靖国に戦死した兵士が軍神として祀られていると信じているのならそのことを非難するわけにはいかない。戦争を本当に反省しているのだろうか、あの厳しい侵略戦争に至った過去から何を学んだろうか、歴史認識の浅さを軽蔑はするが。rnrnしかし、首相の立場で参拝という行動をとるとすれば、それは外部に現れる行動を伴うものである。個人といおうが肩書きをもっていようが首相という立場にかわりははない。国家としての意思表示であり、明確な政治的表現であり、単なる信教の自由ということではない。明らかに政治的意味合いを持たせようとしているのである。政治的意味があるが故にこのように問題が発生してもあえて行動しているのである。小泉さんは本当に神道なのか?本当に軍神が祀られていると考えているのだろうか、もしそう考えているのならいつからだろうか、どのように宗教的意義を理解しているのだろうか、こう考えてくると信教の自由だと言っていること自体がおかしいのではないかと思えてくる。この点は安倍さんに関しても同様である。憲法20条1項には、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない」とされている。靖国だけが戦死者を祀る宗教施設だということはまちがってないか。かつて犯した失敗をなんら反省せず、また同じことを繰り返しているのではないか。rnrn要するに、戦争は反省したくないのである。だから、そのことを敏感に感じるアジア諸国は、不安を隠せず。神経質なまでに反応するのである。9条は変えたいのである。軍備がしたいのである。信教の自由を持ち出して、靖国参拝は自由であるといいきる首相がいるかぎり、日本もアジアも世界も日本の軍事化と平和に危機を抱くのである。8月15日にキリスト教の教会に行くのと靖国神社にいくのと意味合いが全く同じではないことが、靖国参拝が信教の自由の問題ではないことを理解させてくれるはずである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Links

Calendar

  • 2024年5月
    « 5月    
     12345
    6789101112
    13141516171819
    20212223242526
    2728293031