東京でした

2011年2月3日

日弁連の委員会の関係で上京。利用する交通機関はたいてい飛行機で、JALでなくANAである。巨人でなく阪神を、トヨタでなくマツダで、ウインドウズでなくマックを、自民党でなく民主党をという選択と同じ感覚でANAなのだろうか。同じ航空会社に乗るとマイルが貯まりやすい。いったんその選択をしてしまうとなかなか他社には移れないないということもある。貯まったマイルの特典航空券でヨーロッパ、ハワイ、香港へと旅をさせてもらった。飛行機に乗っているわずか1時間ほどのことであるが、オーディオサービスを聞くのも楽しみである。たいていは、クラシックチャンネルを聴く。あまりなじみのないオペラ特集などがあると他のチャンネルを楽しむ。帰りの便では寄席のチャンネルを聴くことも多い。ひとり笑いながら、半分寝ている。往復のこの時間はまさに私の娯楽の時間である。そんな時間のもてる出張は、決して嫌いではない。

今日の往きは、懐かしい「オールナイトニッポン」のチャンネルで合わせて聴いていた。懐かしい遠藤泰子さんが搭乗していた。TBSの「誰かとどこかで」の番組で永六輔さんとでていたのを学生のころ聞いていた。遠藤さんのクリアで落ち着いた声がとても心地よかったことを覚えている。なんとその番組は今でも永さんがでて続いているそうである。これから、帰りの便に乗るが、たぶん寄席で楽しむことになるだろう。

肝心の会議は、あるべき司法像、その実現までの道のりをどう描き、実現に向けて行動すべきなのか、今、会内で激しく議論されている法曹人口論を踏まえて議論が重ねられた。そんなに簡単に先がみえるわけではない。

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