突然と言えば突然の知らせであった。既に1年以上も前から癌の宣告もあり、余命も6ヶ月と医師から言われていた。どのような結果になるかわからない手術は拒否していた。それから、いままで静かにそのときのくるまで普通に、いや普通にありたいと普段の生活を可能なかぎり残しながら生活をしていた。この2月には、京都での会議に出席されていた。彼がボランティアで関わってきていた関係の集会である。私は、仕事の一部としての出席であった。体の負担を少なくするために車いすでの参加であったが、食事がおいしくてこんなに太ったよなどとふっくらとしたほおを見せていた。既に医師からの宣告のあった時期を過ぎて生活していた。
そんな彼の死を今朝、知らされた。医師の宣告、病名とその進行度から予定もされていたことかもしれない。しかし、やはり突然の死だ。ほんの1ヶ月も前に元気にあって話したばかりであったのだから。なぜか、「死」を感じさせない死である。