4月1日に沖縄に着き、ホテルの部屋のテレビをなにげなくみていたら、司法試験の受験指導をしたことのある研究室の後輩弁護士が、うやうやしく副知事の辞令を受け取っているニュースが流れていた。かれは、私の知っている受験生時代の彼は靴下をはくのが嫌いな人であり、いつも素足であった。そして、靴よりも冬であっても草履を履いていることの多かった強者であった。弁護士になってからは、沖縄に戻り、経営者団体の顧問をしたり、あるいはゴルフの得意な弁護士として噂が耳にはいっていた。日弁連の理事を同じ頃引き受けていたこともあり、そのころはよく会うことがあった。
それが、たまたま沖縄に行ったその日が彼が副知事になった日であったのである。この沖縄に彼と同時期に同じ研究室で勉強していた2名の弁護士も参加していて、同様にこの事実を驚きをもって接した。40年前の彼を知っていても、その後の人生の方がはるかに大きな意味を持った時間として経過しているはずである。彼を呼び出して沖縄で一緒に飲みたいなどと思っていたが、それはとんでもないことのようであった。
そういえば、札幌市長も日弁連の委員会活動の関係で知り合った弁護士である。今回、選挙となるようである。彼は、まさに人権派の弁護士であり、そのような人が市長の立場にあるということは、とても意義深いと思っている。さらに南相馬市長の桜井さんは、廃棄物問題で知り合った方であり、今、現地から救いを求めた悲痛の叫びをあげている。かれの誠実な強い信念に基づく活動が、もっとも悲劇的な被害をもたらしている南相馬市の救済に大きな力を与えていると思える