石原都知事は、自販機なんかは不要品であって、電気を浪費しているのだから、その利用に関して節電のために使用の規制をすべきであると主張している。都議会の民主党も規制の方向で条例を検討しているようである。都民ではないが、石原知事の言動は、いつも不愉快な思いをもってきくことが多い。今回のこの意見も、ただちに浪費そのものだときめつけ、大胆な規制をするということには嫌な感じがするが、もともとこんなに電気をつかう自販機があっていいのかということにはそのとおりだと思う。
海外に出て思うのは、日本ほどあちこちに自販機がある国はないことである。日本では、どこにでも自販機がある。まだ、毎朝のジョギングを楽しんでいたころ、六甲のホテルに宿泊して、早朝にジョギングをして山の中を走っていた。そのあたりの頂上らしきところについたところ、そこに自販機があった。人家があるわけでなく、観光客が集まる場所ともおもえないところであった。一汗かいた私にとっては、その偶然の便利さに苦笑いであった。
ちょうど、このときは、消費者問題を扱う何人かの弁護士とこれからの消費者問題を語る会と称して合宿を行い、私が自販機の問題点を報告したばかりであったので、つい笑ってしまったのである。当時のデーターだと自販機一台の電気の使用量は、普通の住宅の年間の平均的使用量とほぼ同じであった。省エネ設計の進んだ現在でも約半分であると言われている。自販機がなくて困ることはない。容器はリターナブルにして再利用し、人が売ればエネルギーは節約できて、ゴミもでない。それでいい。田舎を歩いていても軒下のあちこちに自販機がある。そんなに自販機が必要なわけがない。確かに便利ではあるが、そんなになくていいと思う。昼夜を問わず、冬も夏も、熱いものと冷たいものとの両方が用意されているこの自販機の規制が節電に大きな効果をもたらすことはまちがいないだろう。しかし、自販機文化をつくりあげておきながら、ある日突然に上から悪者は自販機だと決めつける対応にはすぐには賛同できない。