福島第1原発の事故に関して警戒区域への指定の方針がだされた。これに対して、批判的なコメントがマスコミもふくめてだされている。住民の安全を検討したうえでの措置であり、混乱を嫌ってあえて安全だといいきることの無責任さこそ責められることではないか。そこに住めるようになるには10年、20年の話だと誰かが言ったことに対してこれまた強い批判がでている。しかし、そうなる危険性は十分にあることである。チェルノブイリのことをみれば明らかではないだろうか。5感で感じることのできない放射能で汚染された土壌、水、空気が浄化されて以前のように安心して食べられる食物が育つようになるにはどのくらいの年月を要するか見当がたたないのが現状ではないだろうか。
かつて、その見えない放射線の恐怖を感じたことが2度ある。最初は、人形峠のウラン採掘現場で実用価値がないとして廃坑になって埋め立てられていた現場である。持参した放射線測定値が何でもない竹やぶのある光景の現場に近くなるにつれてピー、ピーと音の感覚が短くなって鳴り止まなくなっていったときである。この地域の原子力機構と岡山県との環境保全協定は0、1マイクロシーベルト/毎時である。いま、議論されている数値はこの数字とは桁の違う話がどんどんでていて、それでいて安全だと言い切っているのである。怖い話ではないか。
もう1度は、マレーシアのARE(エイシャン レア アース)の公害輸出問題の調査にでかけたときである。マレーシアは錫の産地であり、その錫の採掘の副産物モナザイトから稀土を抽出して、テレビの赤色発行材などを生産していたが、モナザイトに放射性物質であるトリュームが含まれていてその工場で働く家族の人たちに放射線によるものと思われる被害が発生した。その企業は、三菱化成の出資で運営されていたので、公害輸出問題の一つとして調査に参加したのであった。イポー市郊外のブキメラという小さな村でのことであった。住民のうちに流産が多く、子どもたちが白血病を発症し、脳障害を持って生まれたり、ダウン症であったりと障害を持つ子が多く生まれた。当たり前の日常生活を送っている人たちのなかに、多くの障害をもった子供たちをみるのは異様であった。工場の周辺で放射線を測定し、土壌を採取した。その土壌は適正な手続きを経て日本に持ち帰り、京都大学原子炉実験所の小出先生に分析、評価をしてもらったところいまでは詳しい数値を忘れたが高い数値がでた。こんな被害を、未来の子たちに与えてはならない。安全な環境をきちんと残していけるようにしなければならない。安全基準を緩和しても、それが安全になったということではない。