ビンラディンの殺害

2011年5月5日

ビンラディンの殺害ニュースにニューヨーク市民が歓喜している様子が報道されていた。あれほどのテロ事件の首謀者をアメリカの手で殺害したのだから、当然の反応とみるべきなのだろうか。しかし、あの歓喜の笑顔がそのときとてもおぞましく感じた。人は、あるときは、人命は全地球の重さより重いなどと言うときがあれば、人を殺害する行為に喜ぶことを当然とする心がある。すさまじい権力と膨大な財力と多くの命を代償にしたひとりの人に対する殺人事件である。

最初の報道は、小銃を持って反抗しようとしていたから殺したとの説明であったが、どうやら丸腰であったようだ。最初から殺す目的であった。あのテロ事件の首謀者であれば殺すのは当然だといわんばかりである。この殺人行為が正当化される説明は、「戦争」以外にない。まさに戦争をしている。報復による報復の連鎖、これからもアメリカは、いやアメリカを支持してきた国は、テロの脅威におびえながら生活するしかない。もっと人類はいい知恵をだすことはできないものか。

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