しばし、ブログをお休みしていた。書きたい衝動はあったが、フェイスブックへの投稿が続いていたので、あえてこのブログへの記載を休止していた。3.11の大震災に関して最初は言葉もない、これを何か言葉にしてしまうと嘘になるなどとあまりにも未曾有の出来事に対して何か書くのが恐ろしい気持ちもあった。しかし、その後に明らかになっていく原発事故の大きさ、政治の停滞に何か書いておかないと気持ちが収まらないという感覚にもなってきた。フェイスブックは、軽くはいろいろと発言しやすいが、少し重いテーマはあまり深刻に書く場ではないような気がする。意見の違いが、対人関係を悪くするのではないかとも思えたりするからだ。その点、ブログは自分の気持ちのままに書いておくという今までの習慣をそのまま継続できるというメリットがあるような気がする。そんなことで、これからまた日々感じたことをそのまま書き留めておくことにしたいと思う。
きょうは、同窓生の後援会長をつとめている柚木衆議院議員のパーティーがあり、出席してきた。山口二郎北大教授の3、11の大震災を一つのキーワードで民主主義のあり方についての話がなされた。もっといろいろと話を聞きたいと思ったが、原子力政策の経過は、まさに日本のいや民主党によって決別しようとしていた政治のあり方を見事に表しているといえる。そんななかで、東北の地で民主主義のとは何かを復興という大きな事業のなかでまた試されているともいえる。そんな基本的な指摘がなされていたと私は理解した。原発に関する偽メールなど本質的には、政府が世論操作をしながら、進めてきたこととなんら変わらなかったのではないか。そんなことを思っていたが、まさに民主主義のありようが問われているのだと改めて考えた次第。