きょうの朝日新聞、グローブの別刷版の特集は興味深かった。ハリケーン、水害の被害を受けた米国、地震、津波のインドネシア、今回の日本の東北大震災の起きるわずか2週間前におきたクライストチャーチの大地震による被害からの復興の様子がレポートされていた。それぞれに問題を抱えながらも、着実に復興に向けて動いている。日本の場合は、復興を人質に政権闘争に明け暮れている。いかに解散に追い込み政権につくことができるかと自民党は管政権を追い込むことを第1義に考え、民主党は党内で誰が党代表になるかを考えながら、とても一つの党とは思えない抗争を続けている。政治は国民の安全と生活を守るためにあるという基本が忘れられている。残念ながら、政治のパワーゲームが復興を材料に行われているという不幸な状態である。
未曾有の被害をもたらした地震、津波、そしてはじめて経験する原発の大事故、だれがトップでいてもそう簡単にはベストの方法で対応できなかったであろう。問題は、その後の処理である。国民は「がんばろう、日本」などと多くの人たちが、この危機を一致して乗り越えようという気運が盛り上がっている。しかし、政治の場ではそうはなっていない。危険な老朽化した原発を直ちにストップさせたり、エネルギー政策の抜本的な見直しを宣言したり、はたまた復興に向けての諸政策の動きに直ちに反対すべきこともない。問題はこれが材料にして、激しい政治のパワーゲーム化していることだ。
昨日、私も後援会顧問をしている某国会議員の後援会の幹事会にでていた。率直にその議員も現場での悩みを述べていた。議員の申し合わせで報酬の3割を復興支援のために寄付しているそうである。そんななかで、いつ選挙になるやもしれない状況を抱えて地元での活動にも力を注がなくてはならない。被災現場に赴き、必要な施策を考え、行政との連携をしながら、復興に向けて具体策を実施していくその作業がこのパワーゲームのなかで動かなくなっている。どうして、もっと素直に復興にむけてすべての議員が協力しあうという当たり前の姿勢がとれないのだろうか。政治の未熟さがあらわになっている。