謄写の風景

2011年8月11日

昨日は、大阪地検に出向いて記録の閲覧をした。大阪地検は高層ビルの合同庁舎のなかにある。岡山地検の取り壊しの決まっている古い庁舎に慣れているとこれが検察庁かと思ってしまう。セキュリティチェックを受けて1階で受付をすませ、用務の先は18階であることを告げられいくつも並んでいるエレベーターの一つを選択して昇る。記録閲覧のための部屋に行くと教室のように机が配置されていて、数人が記録の閲覧をしていた。開放的な窓から見下ろす高層ビルが見える光景と明るい光に検察庁にいることを忘れてしまうほどである。

記録を閲覧している人をみていると、皆さんがデジタルカメラをもっていて、立ったり座ったりしながら記録をめくりパシャパシャと撮影していた。これまた、時代を感じさせた。私は、だされた記録をひたすら読みながら、必要な要点をメモしていた。たぶん、あの写真は、そのメモさえもしないで必要な箇所を撮影していたに違いない。記録の謄写など特別の手続きは基本的には不要となってきている。時代はずいぶんと変化したものだ。

このあと、別の民事事件で大阪の弁護士2名と共同受任している事件の打ち合わせをし、そのあと暑気払いにでかけた。その弁護士とは昭和58年以来、研究会やら委員会の活動で交流がある。その場で昔の謄写、コピーのことが話題になった。私が修習生のころは青焼きといって、原紙をつくり、原紙と感光紙とを重ねてそれを感光させ、定着液をとおして湿ったコピーを作っていた。そして、それが黒白のコピーになり、やがて乾式のコピーへと変化していった。そのときの記録のコピーは原則として、謄写人が手書きで謄写していた。謄写の最後に「右正写しました」と謄写人の署名押印がなされていた。この正写印はその後現在のコピー機が導入されてもしばらく伝統的に使われていた。このとき、こうした謄写のことが話題となったついでにパソコンが話題になった。私が弁護士として独立した当時は、和文タイプを使用していた。それが短期期間にワープロ、パソコンと進んできたのだから、この世の中の動きはすばやい。さすがに使ってはないが、作動する状況でブラウン管のマックが自宅にある。もはやこのマックがなぜかアナログチックにみえてしまうから不思議である。最近、自宅を無線LANにしてどこでもつなげる環境にしたが、どうもいままで有線であったことの方が珍しくなっているのが世の中のようである。

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