相続人がいなければ、最終的にはその相続財産は国庫にはいる。つまり国のものとなるのである。相続財産管理人として、相続人がなく、数千万円を国庫にいれたことがある。今回の事案は、相続人がいないことは確定したが、特別に被相続人に寄与した人がいれば特別縁故者として相続が認められる場合があり、今回は特別縁故者の代理人として相続財産の分与の請求手続きである。特別縁故者となる以上、被相続人との間の人間関係がここでも浮かびあがってくる。どうして相続人がいないのにそのような立場にたつことになったのか、そこにはその人の長い歴史がある。今回の事例は、認められると考えているが、申立書をまとめているとその人の人生の歴史をひもとくようであり、それをわかりやすく、法律の要件に該当するようにまとめる作業をしている。
1週間ほど前に、限定承認の手続きをした人の相談があった。その人の場合、限定承認の方法がベストだと前にアドバイスをしていた事案であった。単純に相続放棄すべき事案とは思われたが、相続放棄すれば、次順位の相続人がまた放棄の手続きを考えなければならず、迷惑をかける範囲を限定する意味で限定承認で処理することになったのである。限定承認は、相続財産がプラスであれば相続し、マイナスであれば相続しないというものである。それだけに、相続財産の管理の責任が生じてくる。債権と債務とを併せてみるとこれまたその人の人生の一端を顧みることになる。当初は深刻で、そして処理方針を納得して決断し、そしてやがて笑顔が戻って解決に至る。目的達成である。こんなコマが毎日、毎日、私の前を流れて行く。
先日は、自分に保佐人がついがこれを取り消してもらいたいという高齢者の方から電話で相談があった。保佐人は娘さんのようであった。親子の問題など複雑な事情が垣間見えた。明日は、別の方から後見人の選任についての相談がはいった。さてどんな問題が背景にあるのか、、、、。様々な人間模様が繰り広げられていく。