街づくり

2006年7月14日

ドレスデンの破壊と再建の話を前に書いた。まだ寝る前に「ドレスデン逍遙」を読んでいる。完膚なきまでに破壊しつくし、一夜にして数万人の命を奪い、その成果を誇る人の感情があるむごさを認識さされ、ドレスデンの奇跡と呼ばれる再建を果たしたその過程に感嘆した。しかし、ドレスデンの街は18世紀初頭の建築に関わる物語もすごい。マイセンの磁器を誕生させた時の王の権力と個性によって生まれた。rnrn現代のまちづくりはなかなかこうはいかない。私の住んでいる街は、大学や高校が近くに集まっている文教地区である。そして、昔からの町内会の皆さんは、この地区では3階建て以下で10メートルを超えない建物を建てるという合意をしている。放置しておけば学生用の高層マンション、アパートが瞬く間に建ち並んでしまうと思われる地域だ。この申し合わせは良く守られていて、この地域は空が広いと感じることができる。地域にある約70棟の集合住宅のうち上記申し合わせに違反している建物は数棟のみである。他地域に居住する老夫婦が強引に違反物件を建築した。これに対しては法的手続きを踏みながら対抗したが、裁判所は法令に違反するものでなければ自由であるとして当方の訴えは認められなかった。しかし、この手続き中に他の業者が建築を始めようとしていたが、我々の行動をみて、申し合わせの範囲での建物にすることに変更した。われわれの行動も役にたったといえる。rnrnまた、この申し合わせには違反しないものの、他の人の人権を侵害するような建物の建築を始められた人がいた。業者の企画で、発注者はやはり老夫婦のようである。建てる人にはそれなりの事情がある、業者も企画を売り込み建築の契約をとろうとする、一方においてそのことによって被害を被る人もいる。それぞれの人の思惑がからみあい、なかなかきちんとした結論を出しにくい。街は誰のためにあるのか、暮らしやすいとはどういうことか、収益性だけを考えた企画を制限することはできないのか、老夫婦の老後の資金計画は大丈夫か、などなど課題は山積している。調停での合意を試みたが無理であった。土地所有権を絶対化し、基本的にその土地は所有者が100パーセント処分権があることを前提とする法体系のなかではなかなかその理念について語り、実現していく方向の力を得ることが難しい。本日の調停はあっさりと調停不調で終了となった。良い街作りは、行政に頼っていてはできない。そこに居住する人たちが「不断の努力によって」守り、創っていく覚悟が必要である。司法がそうした努力を支える役割を果たし、社会の現代的な問題対して先進的な機能をもつことも必要なのではないかと思う。

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