「岡山が勤まればどこでも勤まる」

2007年3月20日

この春,岡山から転勤される裁判官,検察官の送別会が弁護士会有志の呼びかけでなされた。送られる人たちも会費制での参加である。rnrn送られる裁判官,検察官と同期の弁護士がまずは贈る言葉をそれぞれ述べ,送られる方から岡山での生活の感想などが述べられる。あまり毒舌はでないし,無難に挨拶を交わしていた。私が岡山弁護士会に入会してまもないころの送別会は,送られる人を呼んでおきながら,弁護士の方から糾弾するがごとき挨拶が続いたりしていた。そのように発言することができることをよしとする気風が岡山弁護士会にはあった。それでも,会が終われば,とてもいい会であったとの印象が残る会となっていた。rnrn岡山は昔から裁判官,検察官とっては難しい任地と言われてきていた。最近は,もうそのようには言われてはいないのではないかと思っていたが,今回の転勤する皆さんが挨拶のなかでそのように言われて岡山にきたと話していたので,未だに昔の伝説が裁判官,検察官に言い伝えられているのだろう。「難しい任地」という意味が,きちんとした弁護活動がなされていて,いい加減な裁判はできないという意味であるとすればそれは名誉なことである。法廷の場できちんと権利の主張をしていて,なかなか妥協しないのでやりにくいということも弁護活動としては当然必要なことである。こんなことで嫌われることをおそれてはならない。岡山の地で活動してきた先輩たちの伝統だとすればこの伝統を守るべく頑張らなくてはならない。rnrnしかし,「難しい」と言われている意味は,法廷での弁護士としての活動だけからの意味ではないように思う。県民性として理屈っぽいなどと言われている。県北の津山に行けば,お百姓さんが背負ったかごに六法全書がはいっているなどとまことしやかに言われていたりする。その昔,教育県と言われていて,教育水準が高い県とされてきていた。理屈をこねて困らせることが「岡山が勤まればどこでも勤まる」言わしめたのかもしれない。rnrn今日のそれぞれの方のあいさつは,「そう言われてきたものの,皆さん優しくてとてもやりやすかった」と言う内容であった。岡山の弁護士が理屈がこねられなくなって紳士になったのか,はたまたしっかりとした弁護活動がみられなくなったことを意味するのか。今回転勤する裁判官に対して転勤して最初に対面した刑事事件の法廷で,証人調べを採用しない裁判官に「あなたはたくさんの中の一つの裁判かもしれないが,被告人にとっては一生に一度の出来事である。その人の言い分も聞かないで判決をしようとするとは何事だと」証人調べの採用を大声で強く迫ったことが話された。その裁判官は,その迫力にびっくりし,しかし大切なことに気づかされたと鮮明にそのことを覚えているとの感想が述べられた。優しいやりとりではなく,こうしたことがきちんとやりとりされる「難しい」法廷の伝統だけは忘れてはならない。

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