「懲役3年6月に処す」

2007年3月13日

風は冷たいが風をさえぎり春の日差しを受ける車の中は暖かい。柔らかく明るい空気を感じながら倉敷に向かった。1ヶ月前に結審した国選事件の判決言い渡しがあるからである。rnrn法廷には被害者関係者と思われる老夫婦,その事件周辺の関係者と思われる者数名が傍聴にきていた。被告人は弁護人の方に目をみやることなく裁判官の方をじっとみつめている。検察官の求刑は5年であった。被告人も愕然とした求刑の重さであったと思う。母親の証言のあった前回,その母親は法廷で泣き崩れ,次の裁判が始まっても立つことができなかった。被告人はどのような思いで裁判官をみつめていただろうか。判決は「懲役3年6月に処す」であった。判決理由が述べられている間,じっと裁判官の言い渡しを聞いていた。そして,目には涙を浮かべていた。この涙はどんな意味だろうか,私は裁判が終わって法廷からでていくまでじっと被告人を見ていた。裁判中,あるいは終わってもすぐには弁護人をみることはなかった。手錠をはめられ,立ち上がって去ろうとするそのときにたちどまり,こちらに向かって会釈をした。それでもこの判決をどう聞いたか私には判断つかない。rnrn裁判員裁判になれば,裁判員も量刑について判断することになる。何を基準にどう判断することになるだろうか。犯罪に至る経過,犯行の手口,被害の態様,被告人の反省,家族環境,再犯のおそれ,被害弁償の有無など考えなければならない要素は多く,その基準は必ずしも明確ではない。私も今回懲役5年の求刑は重すぎると直感で感じたが,しかし,3年6月が本当に妥当かと聞かれても判断がつかない。被害者が出廷すれば重くなったりすることはないだろうか。そんなことが気になった。rnrn法廷からでて,車に乗って帰ろうとしていると先の傍聴していた被害者の方と目があい,被害者の方から軽く会釈を頂いた。大変な被害にあわれたはずである。そんな被告人を弁護する弁護士は憎いかもしれない。私もなかなか被害者の方を注視することはできなかったが,軽く交わすことのできた会釈は私にとって救いであった。

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