思い出された自白の強要

2007年3月6日

「それでもボクはやっていない」をみていて,検察官が自白を強要した事件を思い出していた。それは,とても後味の悪い事件となった。rnrn朝,通勤のためにいつも停めている駐車場から主要道につながる脇道にでて,すぐに左折して主要道にでた。左折するときに左側後部に何かに当たったような音を聞いた。渋滞していた主要道にでて斜め後ろを確認したところ自転車に乗った女子学生が自転車を持って立っていたので何もなかったと通り過ぎた。翌朝,駐車場のところに行くとお巡りさんと女子学生と母親らしき人が駐車場付近にいたので,何事かと尋ねたところ昨日の朝の出来事の関係者を捜しているとのことであり,すぐさまそれは自分のことではないかと申し出て,その女子学生の確認を得た。その運転者は女医さんであったので,勤務の都合も配慮しながら警察の調べは進められた。以上の事実関係はそのまま伝えた。ところが,調べはかなりしつこく,女子学生が倒れていたのを認識していたのに逃げたのであろうと確認したのである。このころから私に相談にきた。rnrnあの映画の弁護士と同様,決して事実以外のことが書かれた調書には署名しないように,間違った記載には訂正を求めるようにアドバイスした。警察の調べはそれでもその女医さんの供述をそのまま記載した調書を作成した。しかし,それが検察庁の調べになって一変した。この調べは当初司法修習生が担当した。もちろん資格ある検事の指導の下に行うのであって修習生が単独ですることは違法である。担当した修習生は,丹念に女医さんの話を聞き,それを調書にした。内容は,明らかに否認である。そして司法修習生がその調書を指導担当の検事にみせたところ,こんな否認調書などどうしてとったのかと言わんばかりにこの調書を女医の前で破って破棄してしまった。私が吐かしてみせるといわんばかりであったようだ。それからしつこく検事の調べが続いた。検事の前では真実が通ると思っていたその女医さんは検察官の態度の変化に驚いた。否認していると何回も呼ばれた。否認することに人格的欠点があるなどと非難することもあった。そこで私はこの検察官のところに抗議に行った。検察官は自白を強要するところなのか,それをこれから法曹になっていくべき司法修習生に手本として見せようとしているのか。検察官の職務は警察の調べをチェックするところであるはずなのに,このチェックを怠ることを超えて警察よりもひどい調べをしているのである。最終的に調書は「未必の故意」としての内容で調書が取られた。rnrnこの事件は,被害者の母親が被告人を強く非難し,起訴となった。起訴となってから被害者と示談交渉をし,示談は成立したが,公判には毎回母親が傍聴にきた。被害者の尋問は遮蔽のなかで行われた。弁護人からは、現地で実際に車両をおいて、その視角や現実の見え方を写真撮影して提出した。当初否認の調書を作成した司法修習生は,検察修習を終え,裁判修習となっていた。刑事裁判の修習ではなかったがこの事件が気になるのか毎回傍聴にきていた。私はこの修習生を法廷に立たせるようなことはしてならないと思った。自白調書がどのようにして作成されていくのかその過程をしっかりと心に留めていて欲しいと思った。判決は有罪であった。救いは,有罪ではあったが,裁判官から真摯な態度で小児科医として仕事をしている被告の態度を評価し,今後は気をつけて運転して良い仕事を続けて欲しいとの言葉が言われたことであった。この判決の日には取り調べた検察官もそのときの司法修習生も傍聴席で判決を聞いていた。有罪ではあったが,検察官もしっかりとこの事件から学んで欲しいと思った。そしてこの司法修習生は,任官をして裁判官となった。このことを直接この修習生と話題にして話すことはなかったが,岡山の実務修習を終えるときにそっとこれからもしっかりと頑張ってくださいと声をかけた。rnrnあの映画以上のことが日常的に繰り返されているのである。それで,あの映画のリアリズムが怖かったのである。

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