「それでもボクはやっていない」

2007年3月4日

映画を見終わって声もでない。徹底したリアリズムである。そうであるが故に現実が怖い。出てくる検察官,裁判官,弁護人の姿は,現実の世界においていつでも名前を挙げて揃えることができるくらいにリアルである。映画のはじめの方に高層ビルの一角に事務所を構えるローファームの弁護士が秘書を待機させながら依頼者と相談している様子がでてくる。一転して普通の弁護士の事務所がでてくるが机の上は書類の山で,雑然としたなかで多くの人が窮屈そうに仕事をしている。一瞬,これは私の事務所の机の上と同じだと笑いそうになってしまうほどリアルなのであった。出演者は誰もヒーロー,ヒロインはいない。特に悪者がいるわけではない。ごく普通のことが普通の通りになされている様子が描かれていた。それがこのようなドラマになるのだるから,現実が怖いのである。法廷での検察官の位置は普通裁判官に向かって左側であるはずであるが,映画の中では弁護人,被告人の位置関係が逆になっていたのが気になった程度である。rnrn普通に描かれた問題点をあげてみると逮捕に至る経過と取り調べ,留置施設の広さと規律,当番弁護士,黙秘権の実態,被疑者ノートの意味,否認の難しさ,無罪推定,疑わしきは被告人の利益にの原則,無罪をだすことの裁判官の勇気,無罪判決と裁判官・検察官の評価・転勤,職権主義的な訴訟指揮,裁判官の検察官側にたった補充質問,被害者の権利の意味,人質司法と保釈などなどであり,現在の刑事司法の問題点が集約されていた。見ているうちにどんどん引き込まれていき,かつての悔しい思いをしたときの裁判官の顔や人権感覚のかけらもなかった検察官の顔と出演者の顔とがだぶってみえたりした。rnrn判決の言い渡しが終わり,被告人の顔がアップになり,そして無表情な冷静な裁判官の顔のアップに変わり,「真実を知っているのは私だ。だから結局は有罪判決をだした裁判官自身が裁かれたのだ」と独白がある。そして,石の砦のような最高裁判所の建物の映像となり,自分がこのように裁かれたいと思う方法で裁判されることを望む旨のテロップが流れる。次女からこの最後の場面にどのような感想をもったか聞かせて欲しいと連絡があった。この映画は最後のこのメッセージを訴える監督の強い意思があったのではないかということであり,裁判員制度によって,我々が積極的に参加して今の司法を変えていくことが必要なのではないかというメッセージではないかという質問であった。この映画は,有罪か無罪かをスリリングに味わわせるだけでなく,まさにそのことを伝えようとしていたのだと私も思った。rnrn私たち司法に携わっているものにとっては,これが日々味わっている現実であるだけに言葉がでず,考えることの多い作品であった。皆さんにお勧めの作品である。

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