おだやかな瀬戸の海

2007年3月1日

高松高裁の事件のため,岡山から高松に瀬戸大橋線マリンライナーに乗ってでかけた。外はいくぶん冷たい風が吹いていてようだが車内には窓ガラスごしにうららかな日差しが差し込み,光を遮るシェードをおろさなければならないほどであった。瀬戸大橋から見える瀬戸内海は静かできらきらと光を反射し,島々の緑が輝いて見えていた。今日の事件は,判決までいけばおそらく居住用の住居を含めすべてを失いかねない重い事件であり,和解決裂で敗訴判決を待つことになることを覚悟のうえで臨まなければならい期日となっていた。事前に連絡のあった条件ではやはり当方では受諾できる能力がないと判断せざるをえなかったからだ。外のおだやかな希望に満ちた光景とは裏腹に気分は重かった。rnrnこの電車のなかで,修習生と見慣れた風景のことについて話ていた。海の絵を描くと私たちは海に必ず島々が浮かび,その間を船が行き通っている絵を描く。しかしこのことが実は日本のほとんどの人からは異様な風景なのだということはかなり成長してから気づいた。海は水平線が遙か彼方に見えるところであり,波は岩にぶつかりしぶきを上げているのが通常なのだ。今日のような静かな海をみているとそうしたことに気づいた時の気持ちを思い出す。また,岡山県にいるときは海は南側にあると感覚的に理解している。しかし四国に渡ると海は北側にある。当たり前のことだが,この感覚の違いにすぐには慣れることはできない。同じような感覚は島根や鳥取に出かけるときに中国山脈の分水嶺を超えると南に向かって流れていた川が北側に向かって流れているのに気づき,どうしてもおちつかない気分にさせられる。自分が育って見慣れたことが真実だと思い込んでいるから,違った光景をすぐさま受け入れることができないのである。そんなことを修習生と話しながら高松へ向かった。rnrnしかし,裁判所での和解手続きは思わぬ展開を見せ,思わぬ条件で当方の希望していた内容で決着がつきそうになってきた。まだまだ当方も条件をつめていかなければならないが依頼者の顔に笑顔が一瞬もどった。帰りの瀬戸大橋は,既に太陽は西側から低く車窓を照らしていた。島々の美しさは往路と異なることはないのであるが,多くの仕事を一挙にやりきったときのようにさっぱりとした充実感がわき出ていて,外の景色に明るい春の暖かさと光を感じることができた。

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