寛大なご処分を

2007年2月13日

私選弁護士が辞任し,その後を引き受けた国選事件。追起訴に対する罪状認否,追起訴に対する検察官請求の証拠調べ手続き,情状証人尋問,被告人質問,論告・求刑,弁論と手続きがあり,約1時間10分の法廷であった。これまでの準備は,途中からの選任であったので,裁判所での記録読み,検察庁での開示証拠の記録閲覧,被告人との接見3回,家族との打ち合わせ2回であり,弁論要旨を作成して弁論とともに本日提出した。rnrnこの弁論のなかでいつもはあまり使わない「被告人に対して寛大な処分をお願いする」と少し躊躇しながら言ってしまった。判決はお願いしてだしてもらうものではない。法の見地から適正で妥当な判決がなされるべきであり,弁護人はその判決はどうあるべきか被告人側からみた意見を主張するのである。法的な主張をしているのである。従って,被告人にはたとえば「実刑ではなく執行猶予の判決がなされるべきである」というべきであって,決してへりくだってお願いするものではない。私が弁護士になった当時のお年寄りの弁護士のなかには「裁判長様」と裁判官に卑屈なまでにへりくだって「お願いします」と言っていた人がいた。弁護士が一段と低くみられていたころに活動した弁護士の名残りであったのだろうか。こうしたことから「寛大な処分を」などとお願いするようなことは言いたくはないのである。裁判所に提出する書類の中に「上申書」という標目があったりする。実はこれもなんとなく抵抗のあるものと思っている。rnrn今日の被告人の事件の被害者はお年寄りの年金生活者であった。その被害者に回復しがたい被害を与え,その被害回復の見込みはほとんどないのである。十分に被告人を受け入れる家庭環境が整っているとも言い難い状況であった。母親を尋問している間,被告人の顔は涙で濡れていた。母親が気丈に証言したあと傍聴席にもどってからは両手で顔をおさえて,泣き崩れるのを我慢しているようであった。審理が終わって被告人が退廷したあとも母親は席をたとうとせず,ただ顔をスカーフで隠して泣き崩れているのである。検察官は求刑であえて「実刑を」と強調していた。私も経験的には実刑はやむをえないと思われる事案と考えられた。しかし,本件の場合,本人に対してもういちど執行猶予の判決で被告人の更正を期待したいとも思える。被告人の涙に応えてやれればと思ったのである。そんな気持ちが「執行猶予の判決がなされるべきである」という意見ではなく「寛大なご処分をお願いしたい」と躊躇しながらもいわしめたのである。横で見ていた司法修習生にこの心の動きを率直に話したところ,刑事弁護の教科書にどうしても弁論する材料がなければ「寛大なご処分を」とお願いすべきであると記載されていたと教えられた。まちがっていない刑事弁護の方法だったのだ。

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