「ずぶぬれて犬ころ」

2007年2月13日

これは,自由律の俳人住宅顕信の句である。住宅顕信の没後20周年を記念してのシンポジュームがあった。山陽新聞解説委員横田賢一著「生き急ぎの俳人住宅顕信〜25歳の終止符」の出版記念という意味でもあった。コーディネーターが精神科医の香山リカさんでパネリストに佐高信さんが参加し,著者は親しくしている方であるなどの関係で住宅顕信についてあまり知らなかったが参加してきた。rnrn香山リカさんは,「気の抜けたサイダーが僕の人生」「鬼とは私のことか豆がまかれる」という句にであって衝撃を受け,住宅顕信のことを調べ,本にした。みずから住宅顕信の応援団長と称している。25歳で亡くなり,280ほどの句を残しただけの俳人であって,あまり人に知られていなかったが,これらの句に感動し,その近くで接してきた人々がこの人の存在を広めようと活動が継続され,それが今回の本の出版にもつながったようである。rnrn確かに,物事を見つめる目とその表現する言葉に力がある。「ずぶぬれて犬ころ」と「犬」ではなく「犬ころ」と表現しているところに激しく自分の心の状況を見つめている様子が響いてくる。孤立し、理解されず、さげすまれ、それでいて何かを求めている命の様子が、無駄のないわずか9文字に凝縮されている。「夜が寂しくて誰かが笑いはじめた」笑い声が聞こえてくるがそのことが心の寂しさをより深めている。しかし,こうした心に響いてくる句を聞いてももうひとつ足らないものを感じてしまう。この人の句のすごさは私たち俳句の素人にも伝わってくる。消えゆく命の灯火のなかで,懸命に表現した言葉の力を感じる。でもその言葉を聞いて,今に生きていく力を与えられたという気持ちにはなれない。レンブラントが多くの自画像を描き,自分自身を深く見つめながら過ごしたように顕信も深く自身を見つめていた。その感動は伝わってくるが,顕信の生き方を学ぼうという気にはなれない。rnrnシンポジュームが終わったあと出版記念パーティにも出席した。場違いであったかもしれないが香山リカさんに持参していた「スピリチュアルにハマる人,ハマらない人」にサインをしてもらった。そこに書いていただいた言葉は「心は広く軽く」であった。時にしっかりと修行のごとく自分を見つめて,生きていくための強い言葉も聞きながら,「心は軽く」過ごしていけたらいいなどと考えていた。ちなみに今回こうした行事になったのは横田さんの奥さんは憲法をしっかりと護っていきたいと言う立場で活動している市議会議員であり,今年春は県議会議員に挑戦しようとしているなどという事情が背景にあったと思われる。4月の統一地方選挙で政治は動くことになるだろうか。

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