NHKの報道の自由

2007年1月31日

NHKが従軍慰安婦問題に関して取材した側に対して、番組内容が変更になったことを十分に説明しなかったとして慰謝料の支払いを命じられた。このことのニュースの扱いがNHKと他のメディアと特に朝日新聞との間で大きな違いがあった。NHKの報道は、まずは判決が出たことの事実の報道と、関係者からの判決に対する評価のコメントが流された。そのうえで強調されていたのは、この判決で、NHKが事前に政府関係者と面会をしていたが、その政府関係者からの圧力を受けたわけではないことが明確になり、自らの正当性を訴えるためか同様に圧力をかけた事実はないという政府関係者(現首相ら)のコメントを流した。一方朝日新聞は、政府関係者の意思を忖度した結果編集内容を変えたとの認定を重くとらえ、そのことを強調していた。圧力があったと朝日新聞が報道して以後、朝日新聞の安倍番記者は安倍幹事長(当時)のぶらさがり取材は拒否されていたというから、その圧力の影響は強いし、メディアの操作がなされようとしていたことは推測されるだろう。今回の問題は、取材した側への説明義務の問題として司法で判断されたが、裁かれたのは、報道機関が政府からの圧力に屈して番組を変えることがあってはならないということにあった。政府の意思を忖度して番組内容を変えるようなことはあってはならないことが、裁判によって判断されたのである。この問題を、報道機関の編集権の自由を侵害したかどうかの問題で捉えると、本質を見誤るおそれがある。rnrn言論の自由が日本国憲法で保障されている。誰でもが国家からの圧力を受けることなく意見を述べることのできる自由である。民主主義の大前提である。自由に意見を言うことのできる前提として、事実を正確に認識できなければならない。その事実を報道するのがマスコミである。従って報道の自由なくして真の民主主義は生まれない。さらにその報道の自由を守るためには、取材源の秘匿の権利が保障されなくてはならないと言う関係にある。権力に影響を受けないで自由に報道する権利と義務があり、それは憲法上の権利として保障されていると言える。しかし、今回の判決は権力者の意思を忖度したという事実認定があり、そうであればそのことがもっとも問題とされなくてはならない。権力からの圧力がなかったことが認定されたとして喜んでいる場合ではないのである。報道機関としての責任を放棄したかのような今回のNHKニュースの報道には問題の認識がなく、私には違和感を感じさせた。rnNHKが決して国営放送として国家の代弁者に成り下がってはならないのである。政府、権力者に対して毅然とした対応と、それができる組織的制度的保障を与えることこそが、この問題のつきつけている本質であることを忘れてはならない。

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