一転の雪で

2007年1月7日

5日の夜から、家族全員が1年ぶりに揃った。夕方早めに事務所を失礼させていただいてその日帰ってくる次女を岡山駅に迎えに行き、車にのせて1時間30分ぐらいのところにある温泉で全員集合である。このときから仕事のことは一切忘れてのんびりとした時間をもった。次女は誕生日でもあるので誕生ケーキを用意し正月と誕生祝いとが一緒にすませられる。本人はお年玉と誕生日祝いとが一緒になってしまうことを小さいころからずいぶん嫌がっていた。rnrn私は、1日から事務所に行ったり、記録読みをしたりしていたので、この日の夕食のときから本当にリラックスして頭を空にしてお正月を楽しんだ。しかし、肝心の次女は仕事の関係の電話がしょっちゅうはいり、深夜まであちこちに電話をしたり、上司からの指示を受けていたり、原稿を書いたりしていた。何やら北朝鮮情報にからむ国会議員の動きを探っていたようだ。我々もどんな仕事がいつ入ってくるかもしれない緊張感はあるが、マスコミは医者と同じようなもので、その時動かなければならない。医者であればその人の命に関わるかもしれない可能性が常にあるのだ。その意味では弁護士の仕事は、その時を逃しても別の時間帯を確保してやりきればいい。緊急な接見要請でも時間を調整してやりくりすることができる。マスコミは、そのときに正確な情報が必要とされる。医者はそのとき、適切な治療が必要であり、その時を逃せば医療過誤の責任を問われることにもなりかねない。改めて、医者は大変だなと思わされると同時にマスコミの人々も同じような厳しい状況だということを近くで認識した。長女は昨日飛行機で東京に帰った。次女も休暇であった気がしないといいながら午後新幹線で帰京した。rnrn長男は、今朝飛行機で帰ったのであるがこれが大変であった。空港までは私が車で送っていくことにしていた。朝食は食べたが、まだ髭も剃らずハミガキもせず。自宅で過ごすときのままの服装で8時40分頃に家をでた。どうせすぐに帰ってくるつもりであったからである。30分もあれば充分に着ける位置にある。でかけに雪花が散りはじめていたが、積雪なぞどこにもない。なんの心配もなく家をでた。家を出発して数分すると前が見えないくらいに吹雪始めた。しばらく行くと一面雪化粧になっている。さらに進むと既に積雪状態であり、雪は激しくなる一方である。ゆっくり進んでいたが、ハンドルをとられる感触が伝わってくることもあった。どの車もゆっくりと走っている。いよいよ他の車の轍の後を選んで進むようにしたが、動けなくなって道路上にハザードランプを点灯したまま停まっている車もある。空港まであと3キロぐらいの位置である。もう行くしかない。右折して空港方面にいく降り坂のところで2台の車が接触事故で停まりその先は数台の車が動けなくなっていてそれに連なって車が列をなして停車している。ここで長男には歩いて行くように指示をしてなんとかこの車の列を脱することを考えていた。もうここで停まっていなければなないかと思ったが、前の車がうまく停車していた車をかわして前進したのでこれに連なって脱出し、右折してあとは空港まで一本道の上り坂である。右折してしばらく行くと、今度は私の車が全くタイヤがスリップして前進できなくなった。あせってもいけない。JAFに電話をして応援の依頼をするが、タイヤチェーンの要請が集中していていつになるかわからないという。じぶんの停車している位置、タイヤのサイズなどの説明に苦労しながらやっと伝えることができたが、これからどんなに長い時間をここで過ごすことになるのだろうかと心配になった。それでも無理をせずそこで待つことにした。そうしている内に道路に粒状の塩を撒いている作業員の人がきてタイヤの周辺にまいてくれ、そして数名で車を押してくれた。そしてやっと動くようになってゆっくりと空港の駐車場に車を入れた。あの道路に撒いていたものは効き目が速い。またたくまに雪を溶かしていく。帰りは大丈夫かもしれないとしばらく様子をみていたが、またまた吹雪いてきたので、安全第一と考えバスで岡山駅に戻ることにした。道路の状況をみながら帰ったが、バスに乗っている内に空は晴れて日差しがでるようになった。路面には幾分シャーベット状になっているところもあるようだがまず大丈夫そうで、車で帰ることにすればよかったかと多少後悔する。岡山駅で新幹線で帰京予定の次女と会って、昼食をご馳走して別れ、再び空港へ車の確保にでかけた。道はもう路面が少し濡れていると言う程度でしかなかった。空港にいた他の人たちからみると、そんなに苦労した人がいたことなど信じられないだろう。朝からとんだ雪の一日となった。この危機を回避するためにはいつどの段階でどのように判断すべきであったのだろうかと振り返ってみたが、所詮人の考えることであり、気象の変化を正確に予知できない以上仕方がなかったかとも思えるし、もっと早い段階で安全な決断をするべきではなかったかなどとも思える。ほんのわずかの間の時間帯における荒れた気象に巻き込まれた事件であった。道路に塩が撒かれて効果を出し始めたころであったなら問題はなかったかもしれない。運が悪かったともいえる。とにもかくにも、こうして事故もなく無事でいたことは判断に間違いなかったことと受け止めよう。気分に安心感があったのは、携帯電話に充電したばかりであったのでいつでも連絡が可能であると考えたこと、車のガソリンは元日にいれたばかりで充分であったこと、その日の朝なんとなく寒そうだったのでいつもは履かないタイツをズボンのしたにはいていたことなどであった。rnrnこうして、とんでもない雪の1日となってしまった。

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