今回の旅でライプチッヒ・ニコライ教会への訪問は思いがけない事実を知り、感動的であったが、ドレスデンのフラウエン教会(聖母教会)でも感銘を受けることがあった。このフラウエン教会は、宗教改革のニコライ教会で活動していたマルチンルターの計画によって建てられた教会である。rnrnドレスデンの街は、プラハと同じように中世ヨーロッパのころから栄えていた街である。第2次世界大戦の前までは、その美しい中世の街並みをそのままに残していた。1945年2月13日深夜、ドレスデンの街は火の海に包まれ、一夜のうちに連合国軍によって破壊され尽くされた。この作戦を遂行したのは英国空軍であった。何らの軍需工場があったわけではなく、京都のような美しい古都と文化の街であり、そんなおちついた街をめざして多くの人が戦火を逃れて疎開していたところであった。その疎開していた無抵抗の市民達の命を一瞬のうちに奪ってしまったのである。。rnrn戦後、ドイツが東西に分断され、ドレスデンは東ドイツの地区に位置していた。そのため街の復興は遅々たるものであって、多くの歴史的遺産はそのままに放置されてきた。このフラウエン教会も粉々になったがれきのままにうずたかく積まれたまま半世紀を経過してきた。東西ドイツが統一され、この教会を平和の象徴としてもとのままに復興しようと作業がはじまった。そして、このがれきの山ををできるかぎり新しい建物に生かそうと破片を組み合わせる気の遠くなるような作業が始まったのである。世界最大の、最難問のジグソーパズルであった。そして、この教会の塔のうえににたつ金色の十字架は破壊した側のイギリスの市民の人たちの募金によってつくられプレゼントされたものである。こうして完成したのが今年6月(確か、、)であった。不幸な戦争の結果を勝者と敗者、破壊された被害者と破壊した加害者とが思いを一つにして歴史ある教会を再建することによって関係修復した。rnrnこの教会には朝早くから大勢の人が列をつくって訪問している。中で椅子に座って静かに祭壇を見つめている人もいたが、クリスチャンばかりではないだろう。この平和の象徴としてよみがえった教会を、戦争、平和の意味を考えながら訪問していたに違いない。ドレスデンの街はまだまだ復興途中である。いたるところで工事がなされていた。しかし、世界では市民の命を犠牲にする「戦争」があちこちでなお続いている。日本では、被害者であった諸外国に対して既に謝罪は十分過ぎるほどにしていると言い、戦争を遂行した軍人を軍神として祀っている靖国神社への公的立場での参拝を復活させようとの動きがある。
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- カルト被害を考える会 に 田所眞紀 より
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ドレスデンのジグソーパズル
2006年12月17日
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