年賀状の挨拶文

2006年12月11日

今回の旅行に出発する前に、いつも年賀状の印刷をお願いしている方から、挨拶文の原稿を回して欲しいとの催促を受けていた。出かける前にいろいろと考えたが言葉がでてこなかった。例年、その年を終え新しい年を迎えるにあたってすぐに挨拶文は頭に浮かんでいた。今年はまとまらないのである。じっくりと考えた結果、頭にすぐに文章が思い浮かばないのであれば無理に書く必要はないと考え「賀春」だけでいいと決断した。定型文を載せても意味がないと考えたからであった。その旨伝えて今回の旅行に出発した。rnrn印刷をお願いした方は、何も書かないのはおかしいと感じたのか、旅行中に事務所からのメールで帰ってからでもいいので原稿を待つとの連絡があった。せっかく、何も書かないと良い決断をしたと思っていたが、厚意に甘えて少しの時間をもらうこととした。旅行から帰っても特に書くことができるわけではないとは思っていた。しかし、ライプツィヒのニコライ教会を訪問し、急にこの感動を挨拶文に書こうと思うようになり、その夜に挨拶文の原稿を仕上げてメールで送信した。rnrnニコライ教会は16世紀の初頭、宗教改革のマルチンルターの活動した教会である。そして、それから約500年を経過した1989年5月から、この教会で毎週東西ドイツの対立を終焉させようと平和の祈りの集会が持たれるようになった。クリスチャンもノンクリスチャンも参加しての集会であった。この教会に通じる道は集会のある月曜日ごとに警察当局によって閉鎖され、ここに出入りする人々はやがて公安警察に監視されるようになり、地域の移動も禁止された。参加者が逮捕されるなどの事態が発生したが、段々とその参加者は増え、10月になり、その参加者は数千人に達するようになった。武装した警察官が数千人の集会が開催されているこの教会を包囲し、今にも武力突入がなされようとしていたとき、新約聖書のイエスの言葉を引用しながら平和を創る行動の必要を説教として牧師が会衆に呼びかけていた。やがて、警察官もその説教に耳を傾けはじめ、ついにその武器を納め、包囲を解いた。参加したあらゆる立場の人が東西を隔てる壁をなくし、平和を取り戻そうと心を一つにした瞬間であり、このときから現実にベルリンの壁が崩壊していったのである。rnrnこうした真理の確信を持った言葉の力の強さと暴力によらない歴史の変革の力の現場を目の当たりに見たとき、平和の実現のためにどのように行動すべきなのかもっともっと言葉の力を信じた行動があっていいいのではないかと感動をもって考えることができた。その気持ちの一部を簡単ではあるが年賀の挨拶文にした。

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