朝から嫌な予感

2007年4月18日

今朝の朝日新聞に大江健三郎さんのコラムがあった。大江さんの書いた「沖縄ノート」の沖縄戦の集団自決に軍部が関与していたとの記載に関して裁判になっていることが記されていた。そしてその裁判のことが理由で教科書が書き換えされたのである。教科書の記載は,主語が消え,「自決を強いた」との記載は「自決させられた」と受動的な表現に変えられているのである。そのことによって曖昧にさせられた元の文章に復元しながら読み込んで欲しいとの主張であった。そう言えば私もこのようにあえて主語を消し,受動体で記載してなんとなく曖昧な表現にしたことの記憶がある。こうしてブログに書く場合はあえてそうすることがある。しかし、大江さんの件は、戦争の悲惨さ,その責任を曖昧にしてしまおうとする意図的な裁判であり,そうしたことに乗って,教科書の記載を変えさせ,教育の現場においても歴史の反省をないものにしようとする卑劣なやり口である。こうしてだんだんと戦後歩んできた平和への道筋を逆もどりさせようとする勢力がおしよせてきている。なにかしら,嫌な気分を味わいながら家をでた。

アメリカでは大学で銃乱射事件があり,32人が死亡したという痛ましい事件が報道されている。人を殺すことを目的とする銃によって自らの安全を守ろうという不信のなかで平和を実現するという考え方が間違いであることに早くきづかなければならない。国際社会においても武器によっては決して平和は生まれない。武器は不信と緊張のなかでその暴発を生み,戦争状態を作りだす。いまや,人類が消滅してしまうに十分な武器が地球上に蔓延している。平和への道筋はどこにあるか明確に見えている。まさに憲法9条は世界遺産にしなければならない。

夜になると長崎市長が銃弾で撃たれ,心肺停止状態となったとのことである。市長選挙運動期間中であり,まさに民主主義そのものに対する重大な破壊行為である。前の市長も銃弾による被害を受けた。平和への声を発信する長崎市長が2代続けてこのような被害にあうという今の日本が怖い。ハト派といわれる自民党の加藤代議士の自宅が放火されるなど,平和に対する直接的な力による弾圧を決して許してはならない。このような勢力が今の政治情勢のなかで確実に広がりつつある嫌な予感をさせられる。こうして平和憲法は有名無実とされていく(主語を隠し,受動態で表現)。

昼間は,法科大学院の消費者法の講義であった。今日は第2講であったが履修者が確定した。14名であった。1講が10名であったので4名増えた。10名程度が一番いいくらいの人数ではあるが,増えたことは多くの人に聞いてもらえることになったと考えれば,これもうれしいことである。弱者の視点を忘れず,自分の頭でしっかりと考えることのできる法曹に育っていってもらえるようあと13講を頑張りたいと思う。

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