死をもってあがなうものは?

2007年5月29日

松岡農水相が自殺した。首相らに対して「死をもってあがなう」とのことが書かれた遺書が残されていたとのことである。

何をあがなおうとしたのであろうか。自殺という手段ではあがなえるものは何もない。命を自ら断って何があがなえるというのだろうか。死者に対して厳しいかもしれないが自殺はもっとも卑怯な,罪な死のありかたである。政治家として国民に向けての遺書がないのが悲しい。疑惑についてきちんと説明してこそ政治家の責任を全うすることではなかったろうか。自殺するほどまでに悩んだのは一体何だったのだろうか。自分の名誉、自民党の面子、首相の人気、あるいはもっと深い秘密?いずれも客観的には命と比べれば取るに足らないことを守ろうとしたのではなかったか。

日本の政治の中心にあって,こうしたことで追いつめて一人の閣僚を死に追いやった政治のありかたが問題である。安倍首相の異常なかばいかたが,松岡農水相の「あがない」を決意させることにはなっていなかっただろうか。こうした痛ましい出来事に償うことができるのは,政治と金の問題を徹底的に洗い直しをし,きちんとしたルール作りをして,クリーンな民主主義社会を作ることによってではないかと思う。

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