先週の木曜日,日比谷図書館を目指したが,休館だったことから司法試験受験時代のころ,利用していたことを懐かしく思い出していた。
大学が大学紛争で学内の混乱を理由にロックアウトしていたころで,寒い時期であったと記憶している。開館前から入り口に並び,確実に閲覧室に席を確保するようにする。開館と同時にすばやくいつもの閲覧室の「指定席」に陣取る。休憩には,新聞閲覧室にいけばほとんどの新聞を読むことができた。2日遅れぐらいで地元の山陽新聞も読むことができていた。1週間に一度は地下ホールでニュース映画の上映が行われていた。また,月に2,3度古い映画が上映されていたが,これらはすべて無料であった。このとき「二十四の瞳」を観た。この映画を観ているとき涙が止まらなかったことを覚えている。食事は安くて館内の食堂でできた。一日中ここで過ごすことができたのである。官庁街に近い公園で,ここで当時は学生の集会が行われ,機動隊と睨み合いながらデモがなされたりした。公園のなかにある老舗レストラン松本楼がこの騒乱のなか放火されて消失した。この騒ぎの中にいたという同業者もいる。この松本楼でカレーを今でも食べることがある。そのころの自分を思い出しながら過ごす時となる。昭和46年(1971年),司法試験の合格発表を見た煉瓦造りの法務省はここから歩いて数分のところにある。