チボリ公園

2007年6月17日

PIC000212.jpg偶数月の原則として第2土曜日に県西部の市に法律相談に出かけている。もう30数年になる。今月は私の都合で第3土曜日となった。山陽本線に乗って西へと進む。梅雨入りしたばかりなのに真夏の日差しである。福山までいく快速電車は空いている。私は最後尾の車両に乗車したが10人程度しか乗っていない。10数分で倉敷駅に停車する。プラットホーム越しに倉敷チボリ公園が見えた。北欧風の建物の張りぼてが塀となってその内側に大きな観覧車が見える。おそらくここの人出も少ないだろう。こんな天気で,電車にも人がいなくて,倉敷で公園に向かって降りる人もいないようである。そもそももうチボリ公園という名称は本場のチボリ公園運営会社との関係で使えなくなるのである。

チボリ公園はもともとは岡山市に作られる計画があった。ある企業が先行取得していた土地の価格があがるなどして特定企業援助のにおいがしないではなかった。税金の無駄遣いであるとして岡山市はこの公園の誘致を断念した。岡山県は,岡山市のこの決断を冷笑するがごとく倉敷市の合意を得て倉敷市に作ることに主導的な役割を果たした。これも膨大な借地料を県が負担することでなされ,やはり特定企業の援助策ではないかと疑われた。この誘致をめぐってはその後テレビなどにもよく出演していた経営コンサルタントと称する者に対して今後利益をあげていく施設であるという報告書と契約に至ったということの報酬として当時我々の目から火が出るくらい驚くほど高額な金員が支払われた。しかし,結果は赤字続きである。県からの毎年の補助金の負担も続いている。県の財政を圧迫している一因ともなっている。結局誰が責任をとるのだろうか。補助金差し止めの住民訴訟も起きていた。この結果を見越しての訴訟提起であった。現在の岡山市長の経営していた会社もこのチボリ公園の運営で利益をあげていた。利益があって,損をした人は誰か。そのことで,この公園の存在意義はわかるだろう。

乗っている電車は通った高校のある駅を通過していく。プラットホームには生徒の姿は見えなかった。土曜日で休みかまだ授業を終えていない時間であったのだろうか。同級生の2人は母校に戻って教職にある。おそらく今年が定年ではないだろうか。そう言えば,チボリ公園では漫画家となった同級生が公園のなかで似顔絵描きなどのパフォーマンスをしていた。同期会は県庁に勤務していた人が幹事をするとたいていチボリ公園でして売り上げ協力をしてきた。寒い冬の時期,コペンハーゲンにいたことがある。冬の間のチボリ公園は閉園していた。暖かい春の訪れととともに開演し,人々は太陽と自然を求めて公園に出かける。デンマークにあってこそチボリ公園なのだろう。

車窓からのながめでチボリ公園のことを考えていたが,今日の相談は,債務整理,離婚,境界争い,交通事故の刑事事件と4件の相談であった。この相談を始めたころは毎回8人ぐらいが事前に予約をとって待機している状況であったが,今は2時間か3時間ぐらいで十分終えることができる。

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