第3者機関

2007年6月20日

年金の支払い記録の確認ができない場合にその有無を決定する「第3者機関」をつくることが決まった。そのメンバーの中には私が日弁連の理事をしていた当時の日弁会長梶谷さんの名前もあがっている。

「第3者機関」というと公平な機関に聞こえる。第3者機関設置が決定したと言えば,公正な手続きでなされた公平らしさが担保される。しかも弁護士が関わっているとなればよけいそう思える。この機関が決めたことには原則として従わなければならなくなる。

しかし,「第3者機関」は万能ではない。もともと資料の不完全ななかで審理するのであるからどのような場合救済するのかその基準をまず明確にしないといくら立派な方が審理しようとも公正な結論はだせない。この基準づくりこそが国会できちんと論じられるべきであった。「第3者機関」を設置するだけでは何の意味もない。往々にして,公正らしさを装った第3者機関は,被害者を切り捨てる役割を果たしてくることの方が多い。公害患者の方々が審査委員会において切り捨てられ,水俣病認定委員会が水俣病患者を切り捨てていった歴史がある。こうした第3者機関に呼ばれる弁護士はまずは政府からみて安全パイが起用される。こうして公正らしさが演出されるのである。

国会におけるもっと慎重な審議こそが必要であった。国会では次々と強行採決が今日もなされている。立法の府として,民主主義国家として恥ずかしい光景である。

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