PL法

2007年7月2日

今週のロースクールの講義の準備をしていた。次回はPL法が中心である。そう思って作業を進めているとここのところ触れてきた事件とPL法との問題は深い関係があったことに気づいた。

昨日触れた森永ヒ素ミルク中毒事件は,食品事故としてまさに製造物責任が問われるべき事件であった。この事件は是非紹介しておきたいと思う。「弁護士ウソツカナイ」のブログで紹介した妙な英語で窮地を脱した事件は,ワシントンのラルフ・ネーダー事務所を訪問し,アムトラックでニューヨークに移動中の出来事であった。ラルフ・ネーダーは「車はどんなスピードでも危険だ」といって欠陥車の回収をさせた人であり,ケネディ大統領は1962年特別教書において消費者の権利をううたい,具体的な施策を実施した人であって,ネーダーの活動を後押ししてきていた。このとき,製造物責任法の基本的な考え方が確立したときでもあった。ケネディ大統領は1963年11月に凶弾に倒れた。この人の「国家が何をしてくれるかを問うのでなく,国家に何をなし得るかを問い給え」との就任演説は,中学3年生の時に知ったが感動的であった。ラルフ・ネーダー氏には1989年11月,消費者の権利がテーマとなった島根での人権大会でお会いした。日本でPL法が成立したのは1994年のことである。ずいぶんと立法までに時間がたったものだ。この分野ではアメリカから30年は遅れていることになる。しかもできているPL法はあまり役立たない法律である。

ということで,PL法準備の過程でいろんなことを思い出していた。

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