自殺

2006年11月14日

つい先ほどまでNHKテレビ「喜劇王チャプリン・世紀を超える」をみていた。やっと工場のオートメ化がなされようとしていたときに「モダンタイムス」で痛烈にその人間無視の本質に迫り、ドイツのヒットラー最盛期の時に「独裁者」をつくり、その最後で戦争の根幹を語り、しっかりと普遍的な平和へのメッセージを強く訴えている。今の世界においても全く新鮮に感じることができる。人類はその昔から変わることのない罪深い存在なのか。rnrn今日も「自殺」の報道が続いている。イジメを苦にしての自殺、その事件があったことを苦にしての自殺、自殺予告と報道がさらに自殺の連鎖を生んでいるようにもみえる。年間3万人もの自殺者がいる今の日本で、さらに幼い子どもたちの自殺が報道されている事実は痛ましい。大学1年生の時だったと思うが、死に関しての本を読んだことがある。死に関しての本というより人生についての本だったろうか。その本の中に1903年に華厳の滝から身を投じて自殺した旧制1高生藤村操の辞世の句「万有の真相は唯一言にしてつくす。曰く「不可解」」が紹介されていた。人生を考え苦しみその結論を「不可解」として死を選んだのである。この報道がなされてしばらく同じ様な自殺が続き、今でも華厳の滝は自殺の名所となっているとか。今回報道されている自殺とはずいぶんおもむきが違うように思う。本当に死とは何かを真剣に考えたのだろうか、その短い生のなかで生きることの価値を知ることできたのだろうか、そんなことを考えた。先週、早稲田大学で開催された宗教法学会で、最近の人気番組の一つになっているいわゆるスピリチュアルものの霊の取り上げ方が死に対する誤った観念を子どもたちに植え付けているのではないかとの指摘がなされたとのことである。そのことが簡単に死を選ぶ行動に結びついていることがあるとすれば問題である。私もこのことは感じていた。この種の番組のあり方は放送倫理に触れることにもなるのではないかとも思われ、冷静に関係者は検討すべきであろう。

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