民主主義

2006年11月10日

事務所に出ると一番に昨日保釈になった被告人からの電話であった。お礼のつもりであったのだろうが、激変している家族の人たちの状況をどう捉えているのか、おそらくいまだに飲み込めないでいるに違いなく不安な様子の電話であった。依頼者への事件進行状況などの報告文書をいくつか書き、賃貸物件の賃料の支払いがないという交渉案件で相手方と交渉した。建設会社相手の交渉であり、まだまだ景気が回復していない実感を当事者からきかされる。そして、クレジット会社相手の訴訟の弁論のため岡山簡裁にでかける。午後からはなかなか事案の処理としては困難であった破産宣告事件の審尋期日があった。破産申し立ての費用、破産管財人のための予納金などはサラ金への過払い請求によってまかなうという危うい事案であったのである。早くに亡くなられた同級生の弟さんの事件だったので、この人の本当の意味できちんと再出発ができることを願っての処理である、最初に相談にきたときは、目が血走るような険しさを持った表情であったがおだやかな表情で今後の生活のことをきちんと話す姿に良かったなと思えた。さらに子ども同志の喧嘩に起因する裁判をすませ、最後には統一協会との示談折衝であった。じっくりと考えながら問題処理をするということがなかなか困難である。瞬時の勘だけで処理してきているようで、判断に誤りはないか心配になってくる最近の仕事の事情である。rnrnアメリカの中間選挙ではイラク政策にノーの世論が民主党への支持につながり、民主党が上下院とも共和等を上回ったようだ。ヒラリーの歯切れのいい演説は心地よい。アメリカはこうしてイラク政策を転換していく方向に動く。しかし、日本では本家本元のアメリカで大きく政策が変わろうとしているのに、そうした方向とは全く異なる方向に突っ走ろうとしている。昨日の国会では党首討論で核の保有論議の擁護の発言がなされていたが、こうした問題をよく平然としたままで済まされるものだと思う。日本にとって正に核はタブーである。軍隊について論じることさえできないはずなのに、こともあろうに核を持つことについて論議をすることは当然許されているというのが安倍総理の見解である。教育基本法に関する公聴会では政府主導のやらせがあったようだ。民意をでっちあげて国会を運営しようとしている。民主主義の基本が身についていない。民意によって国を作っていくことは何よりも基本である。形の上だけの民主主義であってもそこに本当の危機感を感じることのできない政治は、結局は戦争への道を歩むことになるのだろうか。今こそ歯止めが必要である。

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