裁判官の孤独

2007年9月20日

朝一番は倉敷支部の事件であった。サラ金相手の不当利得返還請求事件であるが,被告側がしつこく争ってくる。裁判官の対応も最近の最高裁の流れとは少し異なる見解を示してくる。当初は,そこそこの金額の和解提示があれば応じようと思っていたが,最高裁の流れに逆行するような結果を確定させてしまうのは,多くの人たちが頑張ってきた今の状況に水を差す結果にもなりかねない。依頼者の置かれている状況をも鑑みてもう少し頑張ることを決意し,低額の和解案は拒否した。

裁判官は,こうして双方の法的見解が異なり,最後まで争うことになれば自ら判断しなければならなくなる。この種の判断になれば,その影響は訴訟j当事者のみならず,他の同種裁判にも影響を与える。その判断は多くの人の評価にさらされる。さらに上訴されて上の裁判所の判断となるかもしれない。またまた最高裁で判断されるかもしれない大きな問題を抱えている。しかし,裁判官は判断しなければならない。しかも誰に相談するわけにもいかない。「裁判官の独立」があり,誰にも影響されることなく「法」にのみに基づいて判断しなければならないのである。この責任をもった孤独な作業は精神的にも大変なことであろう。実は,裁判官にも効率が求められている。毎月何件の新しい事件を担当し,何件を片づけ,手持ちが何件で長期に未済となっている件数は何件であるかということが知らされるのである。これが裁判官の評価となり,人事の重要な資料となり,さらにそれが給与に反映される。裁判は,効率で測られてはならないはずである。孤独な作業を強いられる裁判官には是非その裁判の内容によって評価されることが必要である。しかし,その評価が「裁判の独立」を侵害する働きを示してはならないというところが難しい問題である。

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