青春の蹉跌

2006年11月5日

今朝の朝日新聞別刷り紙面(BE)石川達三の「青春の蹉跌」について書かれていた。あの小説にはモデルとなった事件があったのだと初めて知った。この小説を読んだのは私が司法試験の勉強を始めていたころだから大学の3年生か4年生の秋の深まっていたころだと記憶している(毎日新聞の連載時期からみると大学3年生の時のようだ)。親族法のゼミ仲間の女子学生(顔は思い出すが名前は思い出せない)から結構話題となっていた連載小説らしく、読んだかと聞かれたが、その時は読んでいなかった。その小説のことが話題となった教室の雰囲気を光景とともに思い出した。空気は既にひんやりと感じる季節で、既に教室から見えていたマロニエの葉が落ちていたように思う。わいわいがやがやの会話のひとつであったが、なにか気になり、単行本として出版されたばかりの本を買って読んだ。司法試験受験生がいわば人生の勝ち組になろうとすべく受験時代を支えた女性を殺してしまうという話しである。一気に読んでしまった。もう話の詳細は覚えていないが、この小説を読んでいるとき、ドストエフスキーの罪と罰を読んだときと同じような気持ちになったことを思い起こした。この主人公のような尊大な心が自分の心の中に潜んでいることはないかと当時考えもした。小説の終わりの方で、誰かの住宅が火事で燃え盛り、人だかりを離れた遠くから主人公が見ているという光景があったような記憶があるが、、、、、、、。そのころから、あまり小説を読むことはなかったが、このあと数冊の石川達三の本を買って読んだ。今日のこの記事を書いた記者も私と同じ年代であろうか。rnrn腎臓の生体移植のことが話題となっている。臓器売買がなされたのではないかとの疑惑とともに、病気で取り出した臓器を提供者の了解をえないまま移植していたことが明らかとなったのである。この手術をした医師は移植手術に関してはすばらしい技術をもった人のようである。この医師の関係者の方をよく存じ上げていて、意見を述べることが憚られるが、臓器が人の命の一部であり、移植はそのやりとりのなされている現場であるという倫理感に欠けていたのではないかと思わされる。自分の技術に絶対的な自信をもち、その実績もあることから尊大な気持ちになってしまったのではないか。青春の蹉跌の主人公の尊大さと通じるところがあるように感じた。

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