朝は,クリスチャンである妻について教会にでかけた。知っている人も多いので特に違和感なく出かけることができる。妻は,日曜日の教会での礼拝で日曜日の午前中をすごす。いつもなら,私は事務所にでかけるのであるが,きょうはなんとなく家で仕事をすることにしようなどと考えた。
教会の帰りに事務所により,今日中にやっておきたい記録を持ち帰った。事務所の机の上をみているとあれもこれもと気になる記録をたくさん抱え込んでしまった。自宅に帰ると穏やかな日差しが室内にはいこんでいて,そこでのんびりとテレビをみたり眠ったりし,とても仕事をする気になれない。そうこうしていると妻から「野々口(私の実家のこと)にしばらく行っていないが元気かしら。何か持って行ってきた方がいいのでは」などと話しかけられるや,野々口から「元気か」との電話である。向こうも同じように期せずして気にしていたようである。夕食の1品を確保してでかけることにした。
そして,帰宅して自宅で夕食をすませたが,机に向かう気分にはなれない。きょうぐらい何もしない日があってもいいかなどと自分で弁解しながら,持ち帰ったたくさんの記録は広げないことに決めた。今週のいずれかの日にやり終えておかなければならない仕事ばかりである。あすからの「労働」を頑張ることとしてとにかくのんびりとすることにした。今日一日,きっと血圧があがることなく脳波もゆっくりと波打っていたに違いない。