久しぶりに聞いた当たり前の言葉

2007年11月29日

今日の一日は昨日とは一転してあわただしかった。午前中は名の変更申し立ての審判事件。そんなに経験する事件ではないが,認める方向で検討されるということになってまずは一安心である。そして,午後からは立て続けに3件の法廷で,それぞれ5分ぐらいづつずれこんでしまった。刑事事件の判決言い渡し,昨日打ち合わせをして基本的に裁判官の示した案での和解に応じるという方針で臨むことになった民事事件の和解期日,そのあとの労働事件の弁論準備手続きと続いた。裁判官、相手方弁護士を少しの時間待たせることとなってしまった。夕方にはどうもカルト集団の手口に乗ってしまったらしいとの愛知からの電話による相談,いろいろと話していうるうちに「これで確信が持てました。この教団はカルトですね。すっきりしました」との返事。大丈夫そうである。こんな経験をすると嬉しい。ひとり、人生を誤らなくて済んだのだ。

今日のニュースで「推定無罪」の判決が報道されていた。求刑は死刑であったが,裁判官は「灰色かもしれないが,黒ではない」と疑わしくは被告人の利益にという刑事裁判の鉄則どおり無罪を言い渡した。この原理は刑事裁判では当たり前のことである。無辜の人を決して罰するようなことがあってはならない。合理的な疑いを入れない程度に犯罪事実を検察官が立証できなければ,無罪としなければならないのである。この当たり前の原則が刑事裁判では語られなくなっている。有罪率99,9パーセントの実績が無罪判決をださせることに勇気を必要と感じさせるようになってしまっている。あるいは、場合によっては、被害者の叫びが無罪判決や死刑判決回避を躊躇させてしまうことが起きている。裁判員制度で法的判断が素人にできるかなどと非難する人がいるが,この裁判員制度のなかで,裁判員は普通に考えて黒に確信がなければ無罪をだすこの刑事裁判の鉄則が守られよう監視して行く役割が期待されていると思う。実はプロの裁判官が,いつのまにか被告人は有罪であるという呪縛にかられて,よほどのことがない限り無罪はださないということが当たり前になり,数多くのえん罪事件を生み出しているという現実を知るべきである。裁判員は,徹底して疑わしくは被告人の利益にの原則を守り抜けば,その役割は十分に果たせたことになるのではないかと思っている。今の裁判所、検察庁の裁判員裁判の広報にはこの点の認識が欠けている。

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