37年前の私に会う

2007年12月2日

今は司法試験に合格するには法科大学院を卒業し、原則的にその7割程度が合格するシステムとなっている。我々のころは、司法試験に合格するレベルに達する勉強は、特別に大学の教育システムがあるわけでなく、自分でやるしかなかった。法学部の講義ではとてもそのレベルに達することはない。大学の中にある司法試験受験のための指導をしてくれるグループで勉強していた。私は、昭和32年に設立された駿台法科研究室でお世話になった。基本的には合格した人が後輩をボランティアで指導し、合格するように育てるというシステムである。この研究室が育てた法曹は既に200人ぐらいになっているが、この創立50周年記念行事が法曹会館であった。

まずは、村山元首相が記念講演をした。なぜ、首相に選ばれることになったのか、首相になって何をしたか、連立政権を組むことになった契機、そして退陣をきめた時期とその理由などかなり厳しい内幕の話をされた。しかし、その決断の背景には国民の意思があり、それをコントロールしているマスコミがあったという話は、今の政局に繋がる話で非常に興味深かった。村山さんは直接、我々の団体とは関係なかったが、大学の同窓であり、かつ今回の行事実行責任者と知り合いであったということで実現した。我々にとっては、厳しい政治情勢を理解しやすく解説して頂いたこと、政治を動かすのはやはり国民の意思そのものであると言う原則を現実の政治の流れを通じて考えることができた良い機会となった。村山さんにとっては、法曹が固い先輩、後輩の関係のなかで育てられてきていた現実を知っていただき、そのつながりが我々の研究室の場合、非常に固い関係にあることに感銘を受けたようであった。講演だけでなく、式典、懇親会とフルにおつきあいを頂いた。

この研究室を創立した先輩、直接受験指導をうけた先輩、一緒に合格した同輩、指導した後輩らに久しぶりに会うことができた。指導したことのある後輩に私の声色をまねながら「どうしてそれが論点となるのかその理由を考えろ」などと厳しく指導されたといわれたのには赤面をした。研究室の活動の歴史がスライドで紹介されるなかで、私も写っている受験時代から合格した時代の写真も披露された。そのころ私は、「結構理知的ないい奴」に写っていた。自分自身では自分であることがわからないほどであった。もっとも輝いていた希望の多い時代だったのかも知れない。タイムスリップした数時間であった。今では法科大学院で司法試験受験を目的とする学生の教育がなされていて、新たな研究室生の募集はしてなく、こうした受験団体の存在意義はなくなってきた。しかし、今の法科大学院制度も、当初の計画ほどの合格率となっていないこと、かつ合格レベルが下がってきていること、定員数が過大となっているのではないかなどいろいろと問題を抱えていて、あながち存在意義がなくなったと結論づけるのは早計ではないかとの意見もでていた。また、50年後に式典をしようなどと冗談のように話しながら会を終えた。

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