やはり,訴訟は好まない民族?

2007年12月14日

日弁連の司法改革実施対策会議に出席のため,上京していた。私的な用務があって,会議の前に議員会館に寄った。国会議事堂前の通路は,銀杏の落ち葉で,黄色の破れた絨毯のようになっていた。キャスターつきのバッグを引いていたのだが,車輪に雨で濡れていた銀杏の落ち葉がからみ滑るようになった。きょうは国会会期の延長をめぐり,与野党の断続的な交渉などがなされていたようであり,国会内はあわただしそうであった。

日弁連の会議では現在の執行部に対して「21世紀における弁護士・弁護士会の役割」と題する意見書のとりまとめ作業と司法改革と民事訴訟に問題についての議論であった。民事訴訟制度の議論に関してはいろいろと興味深い資料の提供やら報告がなされた。裁判は件数はアメリカの20分の1,イギリスの10分の1,ドイツの8分の1,フランスの5分の1だそうだ。日本はどうみても極端に裁判件数が少ない。弁護士の数が急激に増加してきているが,ここ10年間に地裁通常民事事件は年間15万件をやや切る数字でほぼ横ばい状況である。一時的な現象と思われるサラ金相手の過払い金返還訴訟件数が統計の数を押し上げているとすれば,実質的には訴訟件数は減少しているとも評価できる。日本人はそれほどまでに司法での解決を望まない民族なのだろうか。

司法に対する信頼感がないのだろうか。ある調査資料によれば,ここのところの民事訴訟制度における改革が進んだことを反映してか,積極評価される率が増加し,ネガティブ評価の割合が減少している。にも関わらず,前述のように訴訟件数が増加していないのである。おもしろいのは,裁判官に対するポジティブな評価は若干減少して30,2パーセントであるのに対して,自己側弁護士に対する信頼度は極めて高い数字(80パーセントないし70パーセント)あって結構信頼されていることだ。但し,相手方弁護士に対するネガティブ評価は50パーセントを超えている。民事訴訟という司法に解決をゆだねない原因は何か,これらの数字の意味をも考えながら,司法改革の成果を定着させなければならない。

日常の業務を離れてそれを支える司法制度について,しばし考えていた。この会議の役割は,日弁連の執行部に対して司法改革についての基本的な考えを提供する重要な役割を担っている。議論をしているとなかなか見いだせない弁護士の将来像ではあるが,弁護士であることはどういうことかを考えさせていただく機会となっている。次回には前記の意見書を確定するところまですすむこととなった。今日は,何も発言せずずっと皆さんの意見を聞きながら,考えを整理していた。必ずしも感覚的に全面的に賛成できるとは言い切れなかった。

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